【新帝国暦二十三年十二月末 帝都レーヴェンシュテルン・獅子の泉「北辰の間」】
皇帝の無事が帝都へ届いたのは建国宣言から四日目の夜だった。
この三日間、帝都に残った元帥たちと統帥本部総長ザルツマン大将は毎日北辰の間に集まっていた。
皇帝アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムの巡幸船団は神聖黄金樹教国が建国を宣言したその日に交戦圏の只中へ入り、戦況報告も断片的なままだった。
ビッテンフェルト元帥が三日間で口にした言葉は記録によれば十二語である。彼を知る者にとっては天変地異に近かった。
四日目の夜、通信士官が入室した。
「ジャムシード星系より入電――皇帝陛下御座乗艦、惑星タフテ・ジャムシードの軌道港に到着。陛下はご無事です。以上です」
誰も歓声を上げなかった。
ビッテンフェルトは椅子の背へ音を立てて体を預け、ワーレンは義手の腕を組み直した。
メックリンガーは一度だけ目を閉じ、ケスラーは手元の端末に残っていた巡幸船団喪失時の非常手順を閉じた。
「続きがあります。陛下より、ミッターマイヤー、ミュラー両元帥は帰投まで現地指揮を継続。負傷者の収容と未帰還艦の捜索を優先する。帝都における敵軍分析は予定どおり続行せよ、とのことです」
「承った」
ザルツマンが答えると通信士官は敬礼して退出した。扉が閉まるのを待ってザルツマンは手元の資料を開いた。
「では続ける」
その夜の議題は教国軍の編制だった。
***
「では最初に、教国軍の全体像をご説明いたします」
星図の脇に建国の日、教国自身が全銀河へ公表した四個の軍集団が表示された。
「教国軍の主力は『聖団』と呼ばれる四個の軍集団に分かれております。第一聖団『
参謀は表示された名称を順に示した。
「〈レクス〉とは、教国の発表によれば前宇宙期の西暦時代の地球で使用されていたラテン語で、〈律法〉を意味します。教国はこの言語を公用語の一つに指定しています。〈クルセイド〉は旧自由惑星同盟の公用語です」
第一聖団は、旧ゴールデンバウム王朝以来の門閥貴族、その家臣団、旧帝国軍人。
第二聖団は、旧体制の官僚、行政実務者、記録官や兵站担当者。
第三聖団には、商人や輸送業者、傭兵、武装商船団が多い。
第四聖団は、旧自由惑星同盟軍人や反帝国武装勢力を中核としている。
メックリンガーが四つの名称を見比べた。
「帝国公用語にラテン語、旧同盟公用語。それに地名が一つか。名前の時点ですでに足並みが揃っておらんな」
「待て待て。聞き捨てならん」
ビッテンフェルトが片手を上げた。
「黄金樹。まあよい。あの名については山ほど言いたいことがあるがひとまず置いておこう。律法とやらも、役人どもの集団なら分からんでもない。聖戦という名も、宗教国家の軍隊として実に分かりやすい」
そこで三つ目の表示を指した。
「だが――フェザーンだと?なぜそこだけ急に地名なのだ。聖なる名を考えるのが面倒になったのか!」
広間に失笑が漏れた。
「あるいは商人たちにとってはフェザーンという名そのものが十分に神聖なのであろうよ」
メックリンガーが口元へ指を当てると、ワーレンも続けた。
「金が集まる場所だからか。彼らの信仰は我々が考えるより一貫しておるのかもしれんな」
「ふざけるな!では第三聖団の連中だけ拝んでいるものが違うではないか!」
「その可能性は否定できません」
参謀が生真面目に答えたので笑いはもう少し大きくなった。
ビッテンフェルトもしばらく笑っていたが、やがて第四聖団の表示を見た。
「こっちは旧自由惑星同盟の連中だろう」
「相当数が確認されています」
「民主だ自由だと言って百年以上も我々と撃ち合った連中だぞ。それが今では神権国家の坊主どもの走狗か」
「そのようです」
四つの聖団をもう一度見渡してからビッテンフェルトは腕を組んだ。
「……つまり、門閥貴族と役人と商人と共和主義者が同じ神様の神輿を担いでおるというのか」
「概ね、その理解で間違いございません」
「まとまるはずがない!同じ食卓に着いてみろ。門閥貴族は家柄を誇り、役人は規則を誇り、共和主義者は主義を誇り――」
「商人は金勘定をする」
ワーレンが補った。
「それでどうやって同じ飯を食うのだ。三日で食卓がひっくり返るぞ、そんな国は!」
言い切ったあとでビッテンフェルトは四つの表示を見直した。
「……ひっくり返っておらんのだな」
参謀が頷いた。
「少なくとも十年以上、現在の軍制につながる人員と組織が辺境へ集積し続けていたと見られています。教団系施設、民間輸送業者、旧行政組織などの結びつきは建国宣言よりかなり以前まで遡ります。ただし、我々帝国側はそれらを一個の国家と軍隊を準備する活動とは認識しておりませんでした」
「……十年以上も同じ飯を食っておったのか」
「同じ飯を食ったとは限らぬ。別々の店で、別々の卓を囲んでいたのかもしれん」
メックリンガーがそう言うと、ワーレンはしばらく四つの表示を眺めてから言った。
「だが十年以上は保っているようだ」
「待て待て」
ビッテンフェルトが言った。
「十年以上だと?十一隻ではない。十一万隻だぞ。艦は地面から生えてくるわけではない。船渠が要る。工員が要る。乗員を集めて訓練し、燃料も弾薬も運ばねばならん。それだけのものが動いていて――」
ビッテンフェルトは参謀を見た。
「情報部には何も上がっていなかったのか?」
若い参謀は少し間を置いた。
「いいえ。報告そのものは上がってきておりました」
「何!?」
「旧同盟領辺境での造船所再稼働、退役軍人の再雇用増加、武装船の増加、辺境星系での地方警備隊の訓練。いずれも個別には報告されています。ただ、それらが一個の軍制につながっているとは判断されていませんでした」
ワーレンが口を挟んだ。
「艦艇の保有そのものはどうだ」
「バーラト自治政府は非武装化されています。ただ、バーラトを除く旧同盟領については、帝国編入協定上、海賊対策や治安維持に必要な軍艦まで一律に廃棄することにはなっておりません。巡航艦や駆逐艦の相当数は、地方警備や通商護衛の名目で廃棄されずに残されていました」
「では、我々は敵の艦を見ていながら、見逃していたのか」
「少なくとも、その一部は」
参謀は何枚かの過去報告を表示した。
「灰色に塗り替えられた艦艇についても報告があります。当時は旧自由惑星同盟軍との外見上の区別を明確にし、地方警備用の艦艇であることを示すための簡素な塗装と説明されていました」
ビッテンフェルトが眉を寄せた。
「灰色の艦だと?」
「はい。現在確認されている教国軍艦艇との共通点があります。ただし、当時の報告には現在見られる金色の発光についての記載はありません」
「経文もか」
「ありません。少なくとも外観検査では、ただの灰色の艦体と認識されていました」
メックリンガーが画面を見た。
「つまり、光るまではただの古い軍艦だったわけだ」
「外見上は、です。船体そのものは旧同盟軍時代のものでも、機関、推進器、電子戦装置、火器管制など、内部の主要系統は大幅に更新されていると見られます」
「……中身は別物ということか」
「少なくとも、そのつもりで扱うべきでしょう」
ワーレンは別の数字を指した。
「戦艦は何故残っていた?地方警備に戦艦を何千隻も残す理由はない。全艦廃棄されていたはずだ」
「その点は説明できておりません」
「どういうことだ?」
「現在確認されている戦艦級の数から見て、すべてが帝国側の把握していた保管艦から転用されたとは考えにくいのです」
ザルツマンが訊いた。
「推定は」
「二つあります。一つは、処分したと報告された戦艦の一部が、帝国側の監督の及びにくい場所へ移され長期間保存されていた可能性。もう一つは、辺境の造船所で新造された可能性です。現状では両方が併用されたと見るのが自然です」
「数千隻の戦艦をか」
ビッテンフェルトの声から笑いが消えた。
「はい」
しばらく誰も口を挟まなかった。
ケスラーが訊いた。
「現地の行政官は何をしていた。帝国本土からも人を送っていただろう」
「本土から派遣された監督官はおります。ただ、旧同盟領の地方行政をすべて帝国本土から派遣された官吏へ置き換えたわけではありません。港湾、造船、雇用、船舶登録、地方行政の実務には旧来の行政組織が残されています」
「ならばその連中も共犯ということか」
「全員がそうであったとは考えにくいです。造船所が動けば雇用が戻る。旧軍人を警備要員へ回せば治安が改善する。駆逐艦を修理すれば海賊対策になる。それぞれ単独なら、辺境行政として不自然ではありません」
ワーレンが低く言った。
「一つ一つの情報では見抜けなかったということか」
「はい」
ビッテンフェルトは納得していなかった。
「だが艦隊は訓練せねば動かんぞ。十一万隻だ。いくら書類で誤魔化したところで、艦隊運動まで隠せるものか」
「十一万隻を集めて教国軍が演習した記録はありません」
「何?」
「大規模な統合演習そのものが確認できないのです。試験航行、地方警備隊の訓練、商船護衛、海賊対処、旧軍人の再訓練。数十隻から、多くても数百隻規模の記録は大量にあります。しかし、それ以上の集結はほとんどありません」
メックリンガーがゆっくり四つの聖団を見た。
「艦も見ていた。工員も見ていた。軍人も見ていた。灰色の塗装まで見ていた」
誰も口を挟まなかった。
「ただ、それらを一つの軍隊として見ていなかった」
参謀が頷いた。
「現時点では、それが最も近い整理です」
***
「各聖団の説明へ入る前に、教国軍の階級制度を申し上げます。これから表示する人物の肩書が我が軍とは異なりますので先にご説明した方が分かりやすいかと」
教国軍では軍務そのものを聖務と位置づけ、軍人の階級にも「聖」の字を用いる。
将官の最上位は大聖将でその下に聖将、従聖将が続き、佐官は聖一佐、聖二佐、聖三佐、尉官も同様に聖一尉から聖三尉までに分かれていた。
「大聖将だと?」
ビッテンフェルトが繰り返した。
「なんだ、その、名乗っただけで後光が差しそうな肩書は。元帥で十分だろうが」
「神の下の平等を説くわりには大、無印、従などと、ずいぶん細かく上下を刻んでおる」
メックリンガーが表を眺めている横でビッテンフェルトは別のところが気になったらしい。
「聖一佐、聖二佐、聖三佐……まるで聖なる番号札だな。『聖三佐、承りました』――」
自分で言って吹き出し、広間のあちこちから笑いが漏れた。
「昇進するたびに少しずつ聖人へ近づくということか」
ワーレンが言うと今度はケスラーが訊いた。
「では降格された場合はどうなる」
参謀は資料を確認した。
「宗教上の身分との関係はまだ確認できておりません」
「破門だろうよ!」
ビッテンフェルトが即答し、また笑いが起きた。
「笑い事ではない」
そう言ったケスラーの口元にも、まだ少し笑いが残っていた。
「彼らを捕虜にした場合の取扱いを決めねばならん。軍人なのか聖職者なのか、双方ならばどちらの身分を優先するのか。帝国法上の整理も必要になる」
「書類まで増えるというのか」
「書式が二枚必要になるかどうかはまだ分からん。増える可能性はある」
「何重にも迷惑な連中だ!」
参謀が次の表示へ切り替えると、人名と顔写真が並んだ。
「では第一聖団から申し上げます」
***
最初に表示されたのは第一聖団『黄金樹』だった。
「まず政治上の領袖から申し上げます。エードゥアルト・フォン・グレーフェンベルク侯。亡きブラウンシュヴァイク公の縁戚で、階級は大聖将です」
六十代後半の恰幅のよい男だった。
銀灰色の髪を古い宮廷風に波打たせ、灰褐色の装いには黄金樹の意匠を織り込んでいる。
教国軍の軍服ではなく、胸元の金鎖や勲章まで古い貴族の趣味をそのまま持ち込んだように見えた。
「フォン、だと」
ワーレンが眉を寄せた。
「リップシュタット戦役のときに、資産と一族を伴って帝国から旧同盟領辺境へ離脱したものと見られます」
「言うな。当ててやろう」
メックリンガーが片手を上げた。
「どうせガイエスブルク要塞が落ちる直前に逃げたのだろう」
「……左様です」
「知っておるわ、その手の連中は。城が燃える前に裏口を確かめておいてから入城する。臆病ではあるが、臆病者だからといって無能とは限らぬ」
「本人は逃亡をそう呼んでおりません。教国側の記録では『ゴールデンバウム朝再興の芽を残した』とか」
「二十年以上逃げて、芽が出た先が辺境の神権国家か」
ワーレンが言った。
「大した園芸家だ」
また笑いが起きたが、次の肖像が表示されると自然に収まった。
六十代前半で、短く刈った髪はほとんど白く、削げた頬と眉間の深い縦皺が目につく。
軍服にも目立つ装飾はなかった。
「第一聖団司令、オットフリート・シュタイガー聖将。〈マルス〉艦隊を直率し、同聖団の実戦指揮を担っております」
ビッテンフェルトが身を乗り出した。
「……シュタイガー」
「ご存知で?」
「知っておるとも。俺が若いころの上官だ」
参謀が資料から目を上げた。
「あの人は平民出でな。士官学校も出ておらん。一兵卒から叩き上げで、旧王朝の軍で家柄も後ろ盾もなしに大佐まで行った。俺はあの人の下で戦の何たるかを覚えたのだ」
ビッテンフェルトは画面の男を見たまま少し間を置いた。
「あの人は本物だ」
先ほどまでの調子で口を挟む者はいなかった。
参謀はグレーフェンベルクとシュタイガーの階級を並べた。
「教国軍の序列では大聖将のグレーフェンベルクが最上位です」
ビッテンフェルトがゆっくり振り向いた。
「何だと!」
「軍制上は左様です」
「軍歴もない、逃げた門閥貴族の俗物があの人の上に座っておるのか」
「はい」
「ふざけるな!」
今度の一喝には笑う者がいなかった。
「あの人は旧王朝で、艦隊ごと身勝手な自決に付き合わせようとした門閥貴族の司令官を殴って指揮権を奪った。罪状は上官への暴行と指揮権の簒奪。だが、潰れかけた一万一千余を支えて帰したのもあの人だ。その代償として門閥貴族の恨みを買い、軍籍を剥奪され、辺境の刑務所に送られた」
ビッテンフェルトの拳が卓を一度叩いた。
「旧王朝が滅んで服役を終えたことまでは知っていたが、その後どうしていたかまでは俺も知らん。だが、あの人の腕は本物だった」
画面にはグレーフェンベルク侯の大聖将と、シュタイガーの聖将が並んでいた。
「……それが行き着いた先でも、また実力でなく、家柄で上を押さえられておるのか。門閥貴族の連中は、一体どこまであの人を愚弄すれば気がすむのだ!」
「ビッテンフェルト」
ワーレンが名前を呼んだ。
「分かっている!」
ビッテンフェルトはすぐには座り直さなかった。やがて椅子へ戻り、画面を見た。
「……続けろ」
「はい」
参謀は次の人物を表示した。
「同じく第一聖団。〈ウィルトゥス〉艦隊司令、ゴットフリート・フォン・メルゼブルク聖将」
ビッテンフェルトが先に反応した。
「なぜメルゼブルクがそこにいる!」
ワーレンも表情を変えた。
画面に映ったのは痩せた面長の男で軍装には目立つ装飾がなく、姿勢のよさだけが妙に印象へ残った。
「もともとは帝国軍大佐。マリーンドルフ伯爵家の縁戚にあたる家の当主でした。辺境勤務が長く――」
「皆、知っておるわ」
ビッテンフェルトが遮った。
「あの『辺境の騎士』だろう」
若い参謀は一瞬だけ言葉を止めた。
「はい」
軍ではよく知られた名だった。
中央で華々しい戦功を挙げた男ではなく、自ら希望して辺境を長く転々とし、小規模な紛争や救難、海賊討伐、治安任務を重ねてきた。
派手な勝利よりも、帰るべき者を帰すことで名を知られた軍人だった。
ザルツマンが訊いた。
「ロフォーテンでの一件の軍法会議の件も記録にあるな」
「はい。上級司令部の命令に反して部隊を動かしたことは本人も認めており、事実関係を争わないまま予備役編入となっています」
「命令違反は、命令違反だ」
ケスラーが言ったが、責める口調ではなかった。
「事情がどうであれ、軍としてあれを不問にはできなかった。あの階級の指揮官が結果がよければ命令に背いてよいという前例を残すわけにはいかん」
「分かっておる」
ビッテンフェルトは珍しく反発しなかった。
ワーレンが画面を見たまま言った。
「だがあの男が動かなければ、辺境での民間人の死者はもっと増えていた」
誰も否定しなかった。
「あの一件で助かったのは人命だけではない」
メックリンガーが続けた。
「帝国軍が辺境を見捨てたという印象まで残さずに済んだ。帝国の威信。命令書の上では測れぬことだがそれもメルゼブルクが救ったものだろう」
軍務尚書のケスラーが小さく頷いた。
「だからこそ、予備役編入だった」
ワーレンはそれに異を唱えず、少し間を置いた。
「しばらく置いて軍に戻すつもりだった。少なくとも俺はそう思っていた」
「俺もだ。大佐などで終わらせる男ではない。あと何年かすれば一個艦隊を預かる男だった」
ビッテンフェルトがすぐに言い、統帥本部総長のザルツマンも他の元帥も否定しなかった。
参謀は手元の資料へ目を落とした。メルゼブルクの予備役編入は軍歴の終わりを意味する処分などではなく、復帰の道が残されており、本人にもそのように説明されていた。
「それが」
ビッテンフェルトは画面を指した。
「なぜそんなところにいる」
答えられる者はいなかった。
「判決確定後、本人は爵位と領地を返上し、家門を閉じています。その後帝都を去り、所在不明の期間を経て、教国側で確認されました」
「予備役に置かれたことを恨んだのか」
ザルツマンが訊いた。
「そのような記録はありません」
「あの男は判決そのものには一度も異議を述べていない」
ケスラーが言った。
ビッテンフェルトは腕を組んだ。
「では何だ。帝国に愛想を尽かしたか」
参謀の資料にも、その答えはなかった。
「少なくともグレーフェンベルクなどと同じ理由でそこにいるとは思えぬな」
メックリンガーが肖像を眺めながら言った。
ザルツマンが訊いた。
「軍人としての評価は」
「昔も今も、高いです。建国戦の戦報が届いておりますが、麾下の艦隊の損耗率は教国軍内でも低い水準にあり、攻撃時にも撤退時にも隊列を崩してません。友軍を回収するため、自軍の前進や後退を遅らせた例も複数確認されています」
ワーレンが小さく息を吐いた。
「変わっておらんな」
「はい。味方を捨てぬ男です」
メックリンガーはしばらく画面を見ていた。
「それは厄介だな」
「なぜだ」
「悪党ならば自分を守る。臆病者ならば逃げる。部下を捨てぬ男は部下もまたその男を捨てにくい」
今度はビッテンフェルトも何も言わず、少ししてザルツマンが先を促した。
***
メルゼブルクの資料を閉じると、参謀は第一聖団の残る一名へ表示を移した。
「もう一名、憲兵本部から追加資料の届いている人物がおります」
ケスラーが顔を上げた。
画面に映ったのは四十代の細身の男だった。
整った額と細い鼻梁は旧門閥貴族らしいが、口元に浮かんだ薄い笑いだけがその印象を崩していた。
「第一聖団〈ベローナ〉艦隊司令、ヴィクトール・フォン・ラスバッハ。階級は従聖将です」
ワーレンが目を細めた。
「……あの男か」
ビッテンフェルトも顔から笑いを消した。
「二年と少し前に帝都まで手を伸ばしてきた、あの外道の輩だな」
「そうだ」
ケスラーが低く答えた。
「皇帝陛下の警護網への威力偵察と士官候補生の略取を指揮した男だ」
「教国の人間だったのか」
「当時はそこまで辿れなかった」
ケスラーはラスバッハの肖像を見た。
「掴めたのは、この男が帝国から逃げた後も旧門閥貴族系の犯罪組織網を動かし続けていたことまでだ」
ビッテンフェルトが鼻を鳴らした。
「犯罪者が『聖なる将軍』だと?教国とやらでは、犯罪を重ねるほど徳が積めるのか!」
「聖将ではなく、従聖将です」
参謀が訂正した。
「細かいわ!」
ビッテンフェルトが卓を叩いた。
「悪党に『聖』も『従』もあるか!」
小さな笑いが起きたが、ケスラーは笑わなかった。
「犯罪者としてなら私はこの男を嫌というほど知っている。実家は五百年続いた門閥貴族だったが、この男の所業によりラスバッハ家はとり潰しになっている」
「罪状はなんだ」
「サイオキシン麻薬を含めた禁制薬物の製造と密売をはじめ、旧軍時代から辺境の犯罪網と深く結びついていた。当時、キルヒアイス提督の摘発で組織が潰れた後、生き残りを束ね直して自分の組織にした。この男は、およそ刑法に触れることはほぼすべてやっている。確証の取れた罪状だけ拾っても銃殺刑を五十回では足りん」
「全部一人でやったのか」
ビッテンフェルトが訊いた。
「一人でやる悪党ではない」
ケスラーは答えた。
「自分でもやるが、主に人にやらせる悪党だ」
「なぜ捕まっておらん」
「憲兵隊の摘発が届く前に逃げた。その後、新王朝になっても旧軍人、旧貴族家臣、密輸業者などの網をつなぎ直していた形跡がある」
「軍才はどうだ?」
ザルツマンは参謀へ向き直った。
「あります」
「どの程度だ」
参謀は旧帝国軍時代の戦闘記録を開いた。
「旧王朝のグリンメルスハウゼン艦隊で参謀を務めています。作戦能力、部隊運用、現場掌握のいずれも高く評価されています。兵力を正面からぶつけるより、敵の指揮が乱れた箇所を見つけて一気に広げる戦いを好み、追撃へ移る判断も早い。逃亡後に犯罪網を動かすようになってからも、その傾向は変わっていません」
「犯罪者になって腕が落ちたわけではないか」
ワーレンが訊いた。
「というより、軍歴よりも犯罪歴が長いようです」
笑いが止まり、参謀は続けた。
「人員の疲労、補給残量、恐怖、欲望まで戦力として扱う傾向があります。部下を大切にするという意味ではありません。必要なら使い潰しますが、何をどこまで使えば部隊が動くかはよく分かっている、と見るべきです」
メックリンガーが肖像を眺めた。
「軍人が犯罪者になったのではない。犯罪者が軍人になり、今度は聖人になったというわけか」
「笑えんぞ」
ケスラーが言った。
「こういう男は法も名誉も自分を止めないことを知っている。普通の軍人、いや人間なら踏み越えない一線を、最初から線だと思っておらん」
ビッテンフェルトはラスバッハの顔を睨んでいた。
「俺は卑劣な奴が大嫌いだ」
「知っておる」
ワーレンが言った。
「だが聞いておらん」
小さな笑いが起き、すぐに消えた。
ビッテンフェルトはもう一度、表示された所属を確認した。
「このような外道が、シュタイガーの麾下なのだな」
「はい」
「……気の毒な話だ」
誰を指したのかは訊くまでもなかった。
***
参謀は第二聖団『律法』へ表示を切り替えた。
「第二聖団司令、コンラート・フェルディナント・ベーレント聖将」
装飾のない軍服を着た細身で中背の男が映った。
髪は几帳面に分けられ、片眼にはモノクルをかけている。
表情にもこれといった特徴はない。
「旧帝国軍大佐。旧王朝時代はリッテンハイム侯の家令で、同家私設艦隊の指揮官でした。リップシュタット戦役当時はリッテンハイム侯麾下にあり、アルテナ、キフォイザーの両会戦に従軍しています」
「ああ、あの男か」
ワーレンにも覚えがあったらしい。
貴族連合軍が総崩れになった二つの戦場で最後まで隊列を保った部隊があった。
皇帝アレクが士官学校候補生のときの演習で記録を照合し、二十年以上を経て指揮官の名を拾い上げたことは軍上層部にも報告されていた。
「アルテナでは、一隊でミッターマイヤー艦隊の進撃を一時食い止めています。周囲が崩れても後退順序を変えず、潰走する友軍を収容しながら戦線を畳んでおり、キフォイザーでもキルヒアイス艦隊を相手にほぼ同じ運用が確認されています」
「ミッターマイヤーとキルヒアイスを相手に負け戦でも崩れなかったほどの男が、なぜ今の帝国軍におらん。名も残っていないのだ」
ビッテンフェルトが言った。
「リッテンハイム家の私設艦隊の指揮官であったため、旧同盟軍との戦闘にはほとんど参加していません」
「それで名が残らなかったのか」
「そのようです」
ベーレントは市場育ちで家格も後ろ盾もなく、リッテンハイム侯に才を買われ拾われたものの、旧王朝では才覚に比して低い地位に留め置かれた。
リッテンハイム侯の敗死後、新王朝への任官を願い出たものの、旧主家との関係を理由として資格審査を通らず、その後は消息を絶っている。
現在は第二聖団を率い、艦隊の直率よりも兵站、行政、製造、記録を広く担当していると見られていた。
「我々は、この男を取りこぼしているのだな」
ワーレンが言った。
ケスラーは少し考えてから答えた。
「当時の判断には理由があった。リップシュタット戦役の直後だ。リッテンハイム家との関係を警戒すること自体は不自然ではない」
「不自然でなくても、結果はこれだ」
画面には聖将の肩書が出ていた。
メックリンガーはその肖像を見た。
「記録の中に埋もれていた男が、今では記録を扱う聖団の長か」
参謀は次の資料を開いた。
「第二聖団では兵員、物資、避難民、損耗、補充に関する記録が他聖団より詳細です。確認できる範囲では欠損した数字をそのままにすることを嫌う傾向があります」
「律法という名は伊達ではないらしいな」
「ええ。ただの役人集団と見るべきではないでしょう」
ザルツマンは戦闘記録へ目を戻した。
「ミッターマイヤー、キルヒアイス両提督を相手にした二度の敗戦でも崩れなかった男だ。勝ち方より先に、負けても残る方法を知っている」
ビッテンフェルトは鼻を鳴らした。
「守りに徹されると面倒な種類だな」
***
第三聖団『フェザーン』が表示されると、ビッテンフェルトが先ほどの話を思い出したらしく、もう笑いをこらえていた。
「第三聖団司令、ジェイク・カザリス」
四十代半ば、古傷の目立つ手を卓へ置いた男が映った。
軍服ではない。黒い上着に黒の高い襟、実務一点張りの船乗りめいた服装で、商船隊の古参船長とでも言われた方がまだ納得できる。
「待て」
ビッテンフェルトが肖像を指した。
「こいつは、なぜ軍服を着ておらん」
「その画像は教国の公式肖像ではありません」
参謀が答えた。
「フェザーン回廊で得られた監視記録をもとにしたものです。本人は教国軍参加後も儀礼時以外は常装を好むとの報告があります」
「許されておるのか」
「第三聖団は商人、輸送業者、傭兵、武装商船団を主な母体としており、服装規律も他聖団ほど一律ではないようです」
メックリンガーが口元をわずかに動かした。
「いかにもフェザーンらしいな。軍服より商売着の方が階級章に見える」
「もとはフェザーン商人、武装商船団の頭目。辺境では『疾風ジェイク』の名でも知られていました。同盟軍や帝国軍の戦闘区域へ入り、正規軍を撃ち破って荷を届けて帰った例が何度もあります」
「疾風だと?」
ビッテンフェルトが眉を上げた。
「ミッターマイヤーのほかにも疾風がおったのか」
「本人はその呼び名を嫌っていたようです」
「なぜだ」
参謀は記録を確認した。
「『疾風というのは追っかける側の名前だ。うちは逃げる側だ。名の売れた船は保険料が上がる』と」
ワーレンが吹き出し、メックリンガーも口元を隠した。
カザリスが帝国軍や同盟軍の軍艦と撃ち合って、なお荷を届ける船乗りとして知られていたことは帝国側にも伝わっていた。
「……その海賊の現在の肩書も、あれなのか」
ビッテンフェルトが訊いた。
「聖将です」
数秒、誰も何も言わなかった。
「……海賊が?」
「聖将です」
「祈りの『い』の字も知らん海賊が?」
「信仰心については確認できておりません」
ビッテンフェルトがたまらず吹き出した。
「海賊が聖将!なんだそれは!頭に聖の字を載せただけではないか!」
ワーレンも肩を揺らした。
「第三聖団だけ拝んでいるものが違うという先ほどの説が急に説得力を持ってきたな」
メックリンガーが言った。
「叙任のときに聖油でも注いだのであろうか」
ビッテンフェルトがすぐに応じた。
「値段を訊いたに決まっておる!『その油はいくらで売れる』とな!」
笑いが広がり、若い参謀も顔を伏せたが、すぐに立て直した。
「ですが第三聖団を軽視することはできません。教国の輸送、交易、契約港、秘密航路のかなりの部分にカザリスの張った商業網が関与していると見られます」
「神様も自分では荷物を運べんからな」
ワーレンが言った。
「祈れば弾薬庫が満杯になるなら、兵站将校は要らん」
メックリンガーが続けた。
「カザリスに運ばせれば祈祷料を取られるかもしれんぞ」
そのとき、部屋の端でカップが受け皿へ置かれた。
ビッテンフェルトが振り向いた。
「見ろ!アイゼナッハまで笑っておるぞ!」
全員の視線が沈黙提督へ向いたが、アイゼナッハはいつもと変わらぬ顔でコーヒーを飲んでいた。
「どこがですか」
参謀が思わず訊いた。
「俺には分かる。二十年以上の付き合いだ。あれは腹を抱えて大爆笑しておる顔だ」
アイゼナッハは何も言わず、カップを持ったまま指を一本立てた。
メックリンガーが身を乗り出した。
「何と仰せか」
ビッテンフェルトは頷いた。
「替わりをもう一杯所望。だ」
「それは爆笑とは言わんだろう」
「爆笑したから喉が渇いたのだろうが!」
アイゼナッハは運ばれてきたコーヒーを受け取り、何事もなかったように口をつけた。
***
笑いが収まるのを待って、参謀は第四聖団『聖戦』へ進んだ。
「第四聖団司令、ニコラス・ブルーメンタール聖将」
「ブルーメンタール?聞かん名だな」
ビッテンフェルトが言った。
「旧自由惑星同盟軍の軍人です。同盟でのクーデター発生時、救国軍事会議の最年少幕僚で士官学校首席。統合作戦本部では作戦主任参謀を務め、ドワイト・グリーンヒル大将の腹心でした」
「救国軍事会議の生き残りか」
ワーレンの声から笑いが消えた。
「はい」
「そうであれば恨んでいる相手がいそうだな」
「おります。ヤン・ウェンリーだそうです」
その名が出ると、部屋は静かになった。
メックリンガーが眉を上げた。
「ヤン・ウェンリーだと」
参謀は第四聖団が公表した声明を開いた。建国宣言後、ブルーメンタールの名で旧同盟将兵へ合流を呼びかけたものである。
「この声明では、ヤン・ウェンリーは自ら政治の腐敗を認識しながら、その体制を延命させた。救国軍事会議を潰し、グリーンヒル大将を死なせ、それでも政治的責任を引き受けなかった、と主張しています」
「ずいぶんな評価だな」
「『壊すだけ壊して責任を取らない、無責任の極み』と記しています」
しばらく誰も口を挟まなかった。
やがてメックリンガーが言った。
「面白い見方ではある」
「卿は同意するのか?」
「まさか。ただ、ヤン・ウェンリーという男を嫌う理由としては、ありふれた私怨よりは筋が通っておらんでもない」
ワーレンが第四聖団の名称を見た。
「それで次は神権国家の聖戦とやらに身を捧げるのか」
「そのようです」
「民主共和政の旗を掲げていた男が、次に選んだのがこれか」
ビッテンフェルトが言ったが、今度は笑わなかった。
ザルツマンが参謀へ訊いた。
「軍人としてはどうか」
「有能と見られます。旧同盟軍の教範と組織運用を熟知しており、第四聖団には同じ経歴を持つ軍人が多い。帝国軍との戦闘経験も、四聖団の中では最も豊富です」
「理想を捨てたのではないのだろう」
メックリンガーが言った。
「自分の理想を守らなかった国を捨てた。それで今度は理想を実行してくれるという神の国へ移った」
「その結果が坊主どもの軍隊で聖戦か」
「本人の中ではおそらく矛盾しておらんのだろうよ」
さきほどまで笑いの絶えなかった卓に、もう笑う者はいなかった。
参謀は四聖団の表示を一枚へ戻した。
門閥貴族と旧帝国軍人、官僚と兵站屋、商人と船乗り、旧同盟軍人と革命の残党が同じ教国軍に属していたがそこへ来るまでに歩いてきた道は一つとして同じではなかった。
「以上が四聖団の主要人物です」
ザルツマンは表示を見たまま訊いた。
「主要人物、か」
「はい」
「ではまだいるのだな」
参謀は次の頁を開いた。
「おります」
画面の中央に一人の名が別枠で表示された。
四聖団のどこにも属していない。
「四聖団とは別に、建国放送で聖王直属の親衛艦隊が公表されています。艦隊名は〈
肖像はなく、紋章と短い文字列だけが表示された。
聖王守護ヨーリク。
ビッテンフェルトが眉を寄せた。
「ヨーリク?」
「はい。現在のところ確認できている個人名はそれだけです。姓、年齢、出自はいずれも不明。旧帝国軍籍、戸籍、亡命者記録にも一致する人物は見つかっていません。『ヨーリク』が本名かどうかも確認できておりません」
「階級もか」
「建国放送ではこの人物にだけ軍階級が付されていませんでした。代わりに〈聖王守護〉と紹介されていますが先ほどの階級表には存在しない呼称です。役職なのか、称号なのかも現時点では分かりません」
ビッテンフェルトは画面と参謀を交互に見た。
「つまり、名前以外はほとんど何も分からんのだな」
「そうなります」
若い参謀が別の資料を表示したがそこも空欄の方が多かった。
「確実なのは聖王ヴィルヘルミーネ直属の親衛艦隊を預かっていること、四聖団の通常指揮系統には入っていないこと、それから建国放送上では〈聖王守護〉という特別な呼称を与えられていることです」
ワーレンが白い紋章を見た。
「四聖団なら、少なくともどこから来た者たちかは分かる。旧帝国軍人、官僚、商人、旧同盟軍人。それぞれ母体がある」
「はい」
「だがこの親衛艦隊にはそれもない」
「確認できておりません」
メックリンガーも画面へ目を向けた。
「人間の経歴が消えているのか、最初からこちらの記録にないところから来たのか。それすら分からぬというわけか」
「現状ではどちらとも判断できません」
「兵力は」
ザルツマンが訊いた。
「建国放送と各地の観測記録を合わせれば、一個艦隊規模、およそ一万隻と見ています。艦艇数は他の聖団艦隊と同程度ですが編制や艦種には不明点が多く残っています」
ビッテンフェルトは腕を組んだまましばらく黙っていた。
「分からんことばかりだな」
「はい」
「……まあ、お前が悪いわけではない」
参謀はわずかに頭を下げた。
画面には紋章とヨーリクという名だけが残っていた。
ザルツマンが次を促した。
「親衛艦隊の調査は続けろ。次は、実戦で分かったことを」
「タナトス星域で交戦した帝国軍部隊の記録があります。敵艦隊の所属はまだ特定できておりませんが、光学観測と通信の記録が揃っています」
参謀が操作すると画面が暗転した。
「こちらをご覧ください」
***
画面に戦場記録が映った。
タナトス星域で教国軍と接触した帝国戦隊の艦橋映像である。
記録時刻は建国宣言の直後で、映像の端には警報表示がいくつも重なり、音声にも通信の混線が残っていた。
遠方に並ぶ艦影の外殻で何かが光っている。
参謀が映像を止め、倍率を上げた。
「当初、観測班は艦体の照明か識別灯と考えていましたが解析すると発光しているのは外殻に刻まれた文字です」
画像が鮮明になるにつれ、船体を這う金色の線が文字の形を取った。
同じ文が三つの言語で刻まれている。帝国公用語、旧自由惑星同盟の公用語、それに見慣れない文字列だった。
『根は母へ。枝は星々へ。名は聖録へ』
三つとも意味は同じだった。
ビッテンフェルトが三つ目の表記を指した。
「これは何語だ」
「前宇宙期の西暦時代に地球で使用されていたラテン語です」
参謀は建国放送の付属資料を開いた。
「神聖黄金樹教国は帝国公用語、旧自由惑星同盟公用語に加えて、このラテン語を第一公用語に指定しています。建国宣言以後に確認された公文書も、原則として三言語を併記して公示されています」
「死んだ言葉をわざわざ公用語に戻したのか」
「そのようです。国号の『サンクタ・アルボル・アウレア』自体がラテン語です。教典や儀礼だけでなく、国家名称、官制、軍の標語にも広く使われています。ただし日常会話でどの程度用いられているかはまだ分かっていません」
メックリンガーが金色の文字を眺めた。
「つまり、飾りではないのだな」
「はい。少なくとも教国自身は国家を表す言葉として扱っています」
参謀は表示を戻した。
「我が帝国軍の観測上の呼称としては〈光帯〉と仮称しています」
ビッテンフェルトが言った。
「ずいぶん目立つ祈りだな。軍事的な意味はあるのか?」
「少なくとも、隠すつもりはないようです」
参謀が映像を再開した。
光っていた文字がしばらくして一段明るくなった。
その直後、低い鐘の音が艦橋記録へ混じった。
受信系が拾った教国側の信号を、艦内で音に変えたものだった。
帝国戦隊の通信士が何かを報告しているが警報と重なって聞き取りにくい。
映像の中では砲術士官が敵艦の火器反応を読み上げ、艦長が回避を命じていた。
次の瞬間、画面の半分が白くなった。
数千隻から放たれた砲火がほとんど同時に帝国戦隊へ届き、前方にいた巡航艦群をまとめて包んだ。
映像が復旧したときには戦術表示から複数の艦影が消えている。
北辰の間では誰も口を挟まなかった。
記録映像では再び金色の文字が見え、その後、同じように鐘が鳴った。
二度目の砲撃も、一隻が撃ったのを見て他艦が続いたようには見えない。
離れた位置にいた複数の艦群がほぼ同じ時刻に射撃を開始していた。
映像が止まった。
「タナトスで記録された範囲では同種の射撃が繰り返されています」
参謀は発射時刻を並べた表を出した。
「観測班は発光、鐘の信号、射撃開始時刻の間に強い相関があると見ています。ただし、この三つがそれぞれ何を意味するかはまだ確定していません」
ワーレンが表を見た。
「鐘が射撃命令ではないのか」
「可能性はあります。ただ、現時点ではそう断定できません。鐘の前から火器管制へ変化が出ている例がありますし、鐘が確認されても直後に射撃しなかった艦も混じっています」
メックリンガーが訊いた。
「光は」
「こちらも同じです。射撃前に増光する例は多いのですが点灯したまま長く動かなかった艦もあります。光そのものが命令を伝えているという証拠はありません」
ビッテンフェルトが腕を組んだ。
「では分かったのは何だ」
参謀は少し考えてから答えた。
「彼らは戦う前に光り、何らかの鐘の信号を使い、離れた艦同士の射撃時刻をかなり正確に揃えることができる。それ以上はまだ分かりません」
「十分気味が悪いではないか」
「はい」
ザルツマンが発射時刻の表を見た。
「確認できた範囲は」
参謀は別の図を表示した。
「タナトスでは少なくとも複数の戦闘群で確認されています。一つの標的へ全艦が集中したわけではありません。離れた攻撃群がそれぞれ別の帝国艦を狙いながら、射撃開始だけをほぼ同じ時刻へ合わせています」
ワーレンの表情が変わった。
「同じものを撃つためではなく、同じ時刻に撃つために揃えているのか」
「その可能性があります」
ワーレンは発射時刻の表を見たまま続けた。
「一個艦隊の中だけならまだ話は簡単だ。聖団をまたいで同じことができるなら、意味が変わる」
ザルツマンが参謀へ先を促した。
「四聖団の編制へ戻れ」
画面から戦場映像が消え、四聖団の編制図が戻った。
十個の聖団艦隊が四つの枠へ分けられ、その外側には聖王直属の親衛艦隊〈守護天使〉が一個、別枠で置かれている。
所属する人物の経歴まで重ねると、先ほどまで冗談の材料になっていた違いが今度は軍事上の問題として見えてきた。
ザルツマンが参謀へ訊いた。
「四聖団を一つの軍として動かした記録はあるか」
「確認できておりません。建国以前の戦闘記録は断片的で今回の一連の交戦でも、帝国軍が接触したのはそれぞれ一部の艦隊です。複数聖団による大規模な共同作戦はまだ観測されていません」
参謀は四つの枠の横へ、それぞれの出自を表示した。
第一聖団は旧帝国軍の経験者を多く抱え、艦隊運用にも旧帝国軍の影響が濃い。
第四聖団には旧自由惑星同盟軍人が集まり、用兵思想から幕僚制度まで異なる系譜を持つ。
第二聖団は行政と兵站を得意とし、第三聖団は正規軍よりも商船、護衛船団、辺境航路での経験を母体としていた。
「艦艇の規格も統一されていません。旧帝国系、旧同盟系、民間船を改装した艦艇に加えて、教国内で建造されたと見られる艦級が混在しています。通信規格については相互接続が可能なようですが、指揮手順まで同一とは考えにくいでしょう」
ワーレンが編制図を眺めた。
「一個艦隊の中なら、長く一緒にいれば合わせられる。問題はその外だな」
「はい。シュタイガーの艦隊とブルーメンタールの艦隊では同じ命令を受けても実行の手順が違う可能性があります。まして第三聖団まで加われば、戦場で当然と考えること自体が一致しているとは限りません」
ワーレンが編制図から目を離さず言った。
「鐘で時刻だけ揃えることはできても、何をするかまで揃うとは限らん、か」
参謀が頷いた。
「現時点ではそのように考えるのが妥当です」
メックリンガーが四つの聖団を指でなぞった。
「一つ一つはそれなりによくできている。第一聖団には旧帝国軍人、第四聖団には旧同盟軍人がいて、第二聖団には役人と兵站屋がいる。第三聖団には軍が嫌う場所へ荷物を届けることに慣れた連中がいる」
「褒めるな」
ビッテンフェルトが言った。
「褒めておるわけではない。違いすぎると言っているのだ」
メックリンガーは四つの枠の境を指した。
「同じ旗を掲げることと、同じ軍隊になることは別だ。命令の出し方、損害を許容する基準、撤退を始める時機、予備兵力の置き方。そこが違えば、別々の部隊をつなぐところに必ず遅れが出る」
ワーレンも頷いた。
「一方が退くつもりで一方がまだ押せると思っていたら、それだけで隙になる。逆もあるな」
「我々が見るべきはそこです」
参謀は編制図の境界へ細い線を引いた。
「各艦隊そのものの戦闘力だけではなく、聖団と聖団の間で指揮が受け渡される瞬間です。共同作戦の記録が取れれば、命令伝達に要する時間、予備隊の移管、補給担当の切替えなどから統合の程度を推定できます」
ビッテンフェルトは表示を見ていたが、やがて鼻を鳴らした。
「四つの軍隊が同じ時刻表を持っているだけかもしれんということだな」
「少なくとも、その可能性はあります」
「ならば、つなぎ目を叩けばよい」
「見つけられれば、ですが」
ワーレンが付け加えた。
「そのためにも、まず戦わせる必要があるな。こちらが生きて記録を持ち帰れる形で」
笑う者はいなかった。
ザルツマンが参謀へ命じた。
「交戦した各部隊から、光学観測と通信の原記録を集めろ。統帥本部で照合する」
「承知しました」
シュタイガーを侮るべきではない。
メルゼブルクの部下は容易には崩れない。
ベーレントは敗軍をまとめる術を知り、カザリスは正規軍とは違う航路と物流を持っている。
ブルーメンタールは旧同盟軍の戦い方を知り、ラスバッハは軍人なら通常選ばない手段まで使う。
その一方で彼らの出自も、経験も、戦争について身につけてきた常識も違っていた。
四聖団の十個艦隊は個々に見ても十分に危険で、さらに聖王直属の親衛艦隊が一個ある。
それら十一個を一つの軍として見たとき何が起きるのかは、まだ分からないことが多かった。
誰も、間違ったことを言わなかった。
***
「では次は我が軍だ」
ザルツマンが教国軍の編制図を消した。
代わって表示されたのは帝国軍だった。
現在の正規戦力は六個艦隊、およそ九万隻。
付属する独立部隊や地方警備部隊を除いた、平時常備軍の主力である。
ビッテンフェルトが先ほどとは違う意味で顔をしかめた。
「向こうが十一個艦隊、十一万隻。こちらが九万か」
「帝国全土の正規艦隊を数えるなら、です」
参謀は帝国領全体を示す星図を出し、その上へ艦隊の配置を重ねた。
「九万隻すべてを西方へ回すことはできません。帝都と主要星系の防衛、他方面の警備、広域治安任務を空にするわけにはいかず、修理、訓練、交代中の艦艇もあります。輸送路の護衛まで削れば、前線へ送った艦隊そのものを支えられなくなります」
星図の西側だけが残り、数字が更新された。
「現状で教国正面へ集中できる正規戦力は最大で六万隻前後と見積もっています」
ビッテンフェルトが黙った。
ワーレンが数字を読み上げた。
「十一万対、六万か」
「教国軍の十一個艦隊すべてが一正面へ集中できるならば、です。先ほど申し上げたとおり、四聖団の十個艦隊と親衛艦隊を一個の軍として運用できるかは確認できていません。一方、こちらの六万隻も、明日一か所へ集められるという意味ではありません。各艦隊は離れた星域に配置されていますので集結には時間が必要です」
「つまり、向こうは十一万あるが十一万で戦えるか分からん。こちらは六万で戦えるが六万が戦場へ着くまで、敵に待ってもらわねばならん」
ビッテンフェルトが言った。
「概ね、そのとおりです」
「敵が待つものか」
「待たないでしょう」
ザルツマンの返答に誰も次の言葉を続けなかった。
数字だけを見れば、帝国はまだ巨大だった。
正規艦隊九万隻を持ち、地方軍と警備戦力まで含めれば教国をはるかに上回るが銀河の大半を統治する以上、それだけ守る場所も多かった。
参謀は帝国軍の配置図の横に、もう一枚の試算表を出した。
「軍務省と統帥本部では、戦時編制を最大十二個艦隊まで拡張する場合の試算を始めています。旧自由惑星同盟との戦争当時と、ほぼ同じ水準の艦隊規模です」
ワーレンが数字を見た。
「六個から十二個艦隊への拡張か」
「はい」
「倍か」
ビッテンフェルトが言った。
「艦はあるのか」
「予備艦だけで足りる数ではありません。造船能力、人員、幕僚組織まで含めれば、すぐに実現できる案ではありません」
ザルツマンが資料を閉じた。
「そこから先は、今夜決める話ではないな」
誰も異を唱えなかった。
「陛下とミッターマイヤー、ミュラー両元帥が帝都に帰投した後、軍務省、統帥本部、宇宙艦隊司令部を揃えて改めて詰める。それまでに必要な数字を出しておけ」
「承知しました」
星図には帝国全体の正規艦隊九万隻と、そのうち教国正面へ集中できる六万隻という数字が残っていた。
十二個艦隊体制への復帰は、まだ試算の段階にすぎない。
今ある六万隻で、まず次の一手を受けなければならなかった。
***
会議が終わったのは日付が変わってからだった。
若い参謀が北辰の間に残り、投影に使った資料を整理した。
説明した項目には確認済みの印が付き、質問を受けた箇所には追記の指示が残っている。
その下には会議で開かなかった作業用の別紙が一つあり、表題を『教国軍艦隊・稼働可能数及び補給継続能力に関する暫定推計』としていた。
公表された十一個艦隊、約十一万隻という戦闘艦艇数そのものには複数の観測記録から一定の裏づけがある。
問題はその後ろで、帝国側がこれまで確認した補給艦、工作艦、燃料輸送船その他の後方支援艦艇を積み上げると、十一万隻を通常の艦隊運用基準で継続して動かすには数が足りなかった。
参謀はその数字をもう一度見直したが、計算に誤りはなかった。
それでも分からないことが多すぎた。
帝国側がまだ発見していない補給拠点があるのかもしれない。
第三聖団の民間輸送網が軍の後方輸送を兼ねている可能性もあり、辺境各地に分散備蓄があれば必要な補給艦数そのものが変わる。
教国内で建造された艦艇については燃料消費量も整備周期も十分な資料がなく、そもそも十一個艦隊すべてが常時稼働可能であるとも限らなかった。
別紙の結論も条件付きだった。
既知の補給能力だけを基準とすれば、十一万隻の全艦を長期間にわたって同時運用することは困難。
ただし未確認の補給網が存在する可能性は排除できず、実稼働可能数も継続作戦可能期間も推計できない。
確度は「低」とされている。
参謀はしばらく別紙を開いていたが、内容を書き換えることはしなかった。
数字も結論も分かる範囲を越えておらず、それ以上の確度を付ける根拠もない。
会議で使う主資料には根拠の強い情報が優先される。
この別紙は削除されたわけでも誰かに退けられたわけでもなく、他の未確定資料と同じ場所へ保存された。
参謀はファイルを閉じた。
***
【新帝国暦二十四年一月初旬 ロフォーテン軍管区司令官ギールケ中将座乗艦】
ロフォーテンに届いた文書も三つの言語で書かれていた。
帝国公用語、旧自由惑星同盟公用語、そしてラテン語である。
通信担当士官は三列に並んだ文章のうち、読める最初の二列を追った。
神聖黄金樹教国政府はロフォーテン星域が同国の主権下にあることを通知し、星系内宙域に留まる帝国軍艦艇に退去を要求していた。
内容だけなら、すでに何度か届いていたものと大きく変わらなかった。
担当士官は受信時刻を記録し、帝都の宇宙艦隊司令部へ転送するための処理を始めたが、その途中で索敵担当から通信が入った。
「外周監視網に反応があります」
彼は手を止めた。
「所属は」
「照合中です。帝国軍識別信号には一致しません。民間船舶登録にも該当なし」
「数は」
少し間があった。
「まだ確定できません。外周の複数地点で断続的に拾っています」
担当士官は手元の退去要求へ目を戻した。画面の最上段には金色の樹を模した教国の紋章があった。
「ただちにギールケ閣下に報告。宇宙艦隊司令部にもだ」
「了解」
通信が切れた。
数分後、別の外周監視所からも識別不能反応が報告された。
後世、ロフォーテン星域の会戦と呼ばれる戦いの始まりであった。
――「鐘を止めたい奴は生き残れ。あとで鳴らしている船を探して沈めればいい」
次回、『ロフォーテン星域の会戦(前編)』
V — 人物図譜 教国軍第二聖団司令 聖将コンラート・フェルディナント・ベーレント
【挿絵表示】