【新帝国暦二十三年十二月二十五日 ロフォーテン星系 惑星ルドミラ 帝国軍駐留基地】
神聖黄金樹教国の建国宣言が全銀河へ流れてからしばらくして、惑星ルドミラの帝国軍駐留基地で外部通信が途絶えた。
最初に切れたのは軌道上の軍用回線だった。
民間網を経由させようとした通信班は、基地周辺の中継施設そのものが応答していないことを確認した。
その数分後、基地内の第三格納庫で警報が鳴った。
「侵入者だ!」という報告に続いて別の警報が重なり、「西側通用門、開放されています!」と通信卓から声が飛んだ。
基地内の照明が落ち、白い天井灯に代わって非常灯が通路を赤く染めた。
監視映像の一部は黒くなり、残った画面にも砂嵐が走っている。さらに報告が飛び込んだ。
「第三格納庫周辺でゼッフル粒子を検出!」
基地司令官はその報告に振り向いた。
「火器使用停止。全区画へ徹底しろ。第三格納庫の循環系を切れ。局所排気に切り替えろ」
「局所排気、応答しません!制御盤が落とされています。ゼッフル粒子、危険濃度から下がりません!」
通信が切られ、照明が落ち、今度は排気まで死んでいる。
基地司令官は一瞬だけ黙った。
「装甲擲弾兵を出せ。第三格納庫と中央通路を封鎖する」
爆発性のゼッフル粒子が散布された区画で銃火器を使えば、侵入者の排除より先に基地そのものを吹き飛ばしかねない。
帝国軍の装甲擲弾兵が走り出る。
白兵戦用装甲服に身を包み、手には炭素クリスタル製の戦斧を持っていた。
彼らもまたゼッフル粒子下での戦闘を想定して訓練された兵士である。
先頭小隊が中央通路へ入ると、兵たちの歩調が止まった。
通路の向こうには数こそ多くないものの、人間とは思えない人影が並んでいた。
灰色の装甲板が頭から足先まで隙間なく身体を覆っている。
胸甲も肩甲も通常の戦闘装甲より厚く、関節部まで幾重もの装甲片が重なっていた。
その表面には細い金色の線が走り、胸や兜には枝を広げた樹木を思わせる紋様が刻まれている。
肩からは灰白色の短い外套が垂れていた。戦場には不似合いなほど儀礼的な装いだったが、裾には黒い汚れと擦れた跡が残っていた。
フルフェイスの兜は一枚の金属板で完全に閉ざされており、敵がこちらを見ているのかどうかさえ分からなかった。同じ形の兜が、同じ高さで、微動だにせずこちらを向いている。
握っているのは両手剣だった。切っ先を床すれすれまで下げても、柄頭は胸の高さにある。狭い基地通路で振り回す武器には到底見えなかった。
それが数十体、剣の切っ先を同じ高さに揃えて立っていた。呼吸音さえ聞こえなかった。
誰かが低く言った。
「……なんだ、あれは」
帝国軍の識別端末は回答を返さず、灰色の甲冑も動かなかった。
警告にも答えず、通路を塞ぐように二列で立ち、ただ帝国兵を見ている――そう見えた。
兜の奥に目があるのかどうかさえ分からない。
装甲擲弾兵の小隊長が戦斧を構えた。
「帝国軍施設だ。武器を捨てろ」
反応はなかった。
「もう一度言う。武器を――」
そのとき、鐘が鳴った。
音源は甲冑の列の中央で一歩だけ前に立つ個体だった。
胸元の端末から、低く深い鐘の音が一度だけ流れる。
金属の壁と床がその音を返した。
鐘が消える。
灰色の甲冑が、いっせいに声を発した。
『『『ラーディークス・アド・マートレム』』』
数十の声だった。だが高さも速さもほとんど違わず、狭い通路では一人の声のように重なった。
『『『ラーミ・アド・アストラ』』』
装甲擲弾兵たちは戦斧を構えたまま動かなかった。意味を理解した者はいない。
『『『ノーメン・イン・リブルム・サクルム!』』』
最後の音が途切れた瞬間。
灰色の甲冑の表面に刻まれていた細線が、一斉に光った。
金色だった。
兜から胸甲、肩、腕、脚へと文字が浮かび上がり、赤い非常灯の下で人型が金色に縁取られた。
装甲擲弾兵の一人が息を呑んだ。
帝国軍の識別端末には部隊名も所属も出なかった。
彼らが
鐘のあとに彼らが唱えた三句についても、このとき意味を知る者はいなかった。
戦闘記録に残った音声が後に解析され、
「根は母へ。枝は星々へ。名は聖録へ」
という意味のラテン語による聖句だったことが判明する。
この時点の帝国兵に分かったのは、目の前の甲冑が自分たちの装甲服とはまるで違うものだということだけだった。
金色の光が少し強くなる。
列の中央にいた一体が長剣を持ち上げた。
号令はなかった。
二列の甲冑が一斉に動き出した。
「来るぞ!」
装甲擲弾兵も前へ出た。
最初の一撃を受けた帝国兵が刃を戦斧の柄で受け止めると、重い金属音が通路いっぱいに響いたが、受け切れないほどの力ではなかった。
帝国兵は刃を滑らせ、踏み込んで相手の脇腹へ戦斧を打ち込んだ。灰色の装甲板が割れ、聖騎士の一体が壁へ叩きつけられる。
「倒せる!」
誰かが叫んだ。帝国兵が押した。
前列の一体へ二人がかりで斧を打ち込み、もう一体を床へ倒す。
敵の両手剣は見た目ほど自在ではなく、狭い通路では振りかぶる角度も限られていた。
小隊長は、帝国側の訓練が通用していると判断した。
「いける。前列を崩せ。中央を開けろ!」
だが倒れた聖騎士の後ろからは、次の一体が一歩前へ出た。
倒れた者を助けることも、その場で状態を確かめることもなく、空いた位置へ後列が入る。
同じことは隣でも起き、帝国兵が二体倒せば二体が、三体倒せば三体が前へ出たため、損害を与えているのに隊形の形だけはほとんど変わらなかった。
帝国兵が押し返しているはずなのに、灰色と金色の壁だけが少しずつ近づいてきた。
「下がるな!」
小隊長が叫ぶ中、戦斧が敵の甲冑の肩へ食い込み、相手の左腕が垂れた。
苦痛の声は上がらなかった。
聖騎士は下がらず片手で長剣の柄を持ち直して、遅くなった斬撃を続けた。
隣の一体が半歩前へ出てその死角を埋める。
鬨の声もなかった。
聞こえるのは、装甲と装甲がぶつかる鈍い音、刃が金属を削る音。
それに帝国兵たちの怒号と荒い呼吸だけだった。
そこへときおり低い鐘の音が重なった。
灰色の甲冑から、人間の声はほとんど聞こえなかった。
帝国兵たちはそこで初めて、彼らが個々の兵士としてではなく、通路を塞ぐ一枚の壁のように動いていることに気づいた。
一体を倒しても、壁の形が変わらないのである。
「中央通路、後退する!」
そのとき先ほどより近いところで再び鐘が鳴った。
金色の経文が灰色の装甲を走り、通路の奥まで同じ光が灯っていく。
見えていた二列のさらに後ろに、まだ甲冑がいた。
「後退!」
帝国兵が一歩下がると、聖騎士たちはその分だけ一斉に間合いを詰めた。
走りも叫びもせず、追い立てるような身振りすら見せないまま、帝国軍が二歩下がれば二歩、三歩なら三歩と、空いた場所だけを埋めながら前へ出てくる。
金色に光る甲冑の列が赤い非常灯の通路をゆっくり進んだ。
***
惑星ルドミラの地上基地司令部との通信はその後まもなく途絶えた。
同じ日、建国七星系に置かれていた帝国軍駐留基地でもほとんど同じことが起きていた。
建国以前から匿われ、あるいはその庇護のもとに潜伏していた教国軍部隊が一斉に動いた。
星系総督府――すでに教国の機関へ姿を変えつつあった行政機構――の治安部隊が道路と通信施設を押さえ、軌道港では帝国軍区画が封鎖された。
武装解除を受け入れた部隊は降伏し、立て籠もった基地も長くは持たなかった。
宇宙へ出られる艦は出た。
係留を解く時間のない艦は捨てられ、整備中の船から使える部品だけを外して別の艦へ積み込んだ部隊もあった。
各惑星の宇宙港でも事情は同じだった。
港湾管制や出入口を押さえられ、出港の機会を失った帝国艦艇は少なくなかった。
整備中の艦や補給を終えていない艦だけでなく、離陸準備の遅れた巡航艦や駆逐艦までが港内に取り残され、その相当数が武装解除ののち接収された。
数日を待たず、建国七星系の地表から組織だった帝国軍部隊はほぼ姿を消した。
ただし帝国軍そのものが消えたわけではない。封鎖を免れ、宇宙へ逃れた艦艇がロフォーテン星系外縁部へ集まり始めていた。
***
【ロフォーテン星系外縁部 ロフォーテン軍管区司令官座乗艦 ギールケ】
建国七星系から脱出した帝国軍艦艇はロフォーテン星系外縁へ集められていた。
そう命じたのはロフォーテン軍管区を預かるゲルハルト・ギールケ中将である。
各星系の残存部隊をいったんロフォーテン宙域へ集め、帝国軍正規艦隊の到着を待つ。
そこで戦力を立て直し、到着した正規艦隊と合流して叛徒の撃退と星系の奪還に移る。
それが、帝都から正式な増援が届くまでの彼の方針だった。
ギールケは旧王朝時代から帝国軍士官として、ヴァンフリート、ティアマト、ランテマリオ、マル・アデッタなど、自由惑星同盟軍との戦場を転々としてきた。
先帝の時代、オスカー・フォン・ロイエンタールが新領土総督に任じられると、その麾下となり旧同盟領へ入り、以後この地方に腰を据えた。
新領土総督府が消滅し、ロイエンタール自身も世を去ったあとも、ギールケは帝国本土へ戻らなかった。自由惑星同盟の帝国編入後も旧同盟領内でいくつかの任地を経て、やがてロフォーテン軍管区司令官に就いた。
そのギールケの命令に応じて、建国七星系から宇宙へ逃れてきた帝国軍艦が集まってきた。
警備戦隊に、地上基地から脱出した巡航艦や駆逐艦、周辺哨戒区から引き揚げた艦艇が加わった。総数だけならおよそ一万隻になる。
だが戦艦はわずかで、主力は旧式の巡航艦と駆逐艦だった。
弾薬を積み切れないまま基地を離れた艦、損傷を応急修理しただけで合流した艦も多い。輸送艦や工作艦まで数に含まれていた。
ギールケが手にしているのは、一万隻の正規艦隊ではなかった。
七つの辺境星系に残存していた警備隊からばらばらに追い出されてきた帝国艦合計一万隻を、もう一度軍隊として働かせなければならない状況だった。
教国はロフォーテン星系を自国領と主張して帝国軍へ退去を要求している。
帝国政府はそもそも独立を認めていない。ロフォーテンを含む建国七星系は、法的には依然として帝国領だった。
ギールケの机には教国からの退去通告とともに、武装解除された将兵、軍人家族、取り残された民間人、七星系から脱出してくる船舶の扱いについて帝都へ送った照会記録が溜まっていた。
帝都からの返答は一貫していた。
教国の独立宣言は帝国の主権を左右しない。従前どおり帝国領である。現有戦力を保持して独断の攻勢は避つつ、帝国軍正規艦隊の到着を待つべし。
撤収はせず、攻勢にも出ず、正規艦隊を待て。命令は明快だった。
ギールケは最新の返電を読み終えると、机の端へ置いた。
「結局、命令は同じか」
参謀長が頷いた。
「同じですが、正規艦隊について西方方面への前進配置がこの数日で進んでいます」
皇帝巡幸船団への襲撃と七星系の離脱を受け、帝国軍は西方各方面へ正規艦隊を急行させた。ロフォーテン方面に最も近い位置まで進んでいるのはワーレン艦隊一万五千隻だった。ギールケは戦術表示を開いた。
「この星系に一番近いのはワーレン艦隊か」
「はい。ロフォーテンまで二日程度で到達できる見込みです。ただし現在、ワーレン艦隊には各方面への即応待機が命じられています」
「それでいい。どこの方面が敵の主攻になるか、まだ分からん。我々のためだけに動かす段階ではない」
ギールケは星図へ目を戻した。
「こちらから仕掛ける理由もない。敵が来るなら、直ちに援軍を要請してワーレン艦隊が到着するまで遅滞する」
ギールケはそう答えた。
正規艦隊が二日で来る位置にいるなら、この寄せ集めの一万隻で敵の勢力圏内に攻め込む必要はない。現有戦力を保ち、民間船の退避援護を続けながら、正規艦隊の到着まで持たせればよかった。
参謀長が別の表示を重ねた。ロフォーテン星系外縁には小さな印が散っている。
所属不明船の反応だった。建国宣言後、外周監視網が繰り返し捉えている。数隻から数十隻が短時間だけ帝国の索敵圏へ入り、哨戒艇を向かわせるころには消える。同じ地点へ戻るわけでもなく艦隊を構成するほどまとまった動きも見せない。
「今日も出ています」
「追ったか?」
「近隣の哨戒艇を向かわせましたが、捕捉できませんでした」
ギールケは表示された位置を見た。
「教国軍の偵察艇だろう。監視は続けろ。ただし深追いはさせるな。こちらの哨戒線を崩してまで追う必要はない。本土防衛は正規艦隊の仕事だ」
星図上には、周辺星系からロフォーテンへ向かう帝国艦の航跡がいくつも伸びていた。
「各個に動けば潰される。我々はここで一万の兵力をまとめて待つ」
参謀長が表示を閉じかけたところで、通信士官が振り向いた。
「惑星ルドミラ軌道上の第三十四中継港から入電。医療船と避難船、それに民間貨物船の入港許可を求めています」
ギールケが顔を上げた。
「……軍の撤収命令に従っていない若い通信士官が居座っているところか」
「はい、リディア・ハルランダー中尉です。命令を無視して現在も軌道上の中継基地内にとどまり管制を続けています」
ギールケは一度だけ息を吐いた。
「入港を許可する。医療船と避難船を優先しろ」
参謀長が横から言った。
「ハルランダー中尉についてはどういたしますか」
「軍法会議は後だ」
ギールケは短く答えた。
「立派な献身だった、と褒めて済ませる話ではない。命令違反は命令違反だ。だが処分するにしても、まず本人を生きて戻さねば始まらん。地上は教国軍に制圧されているが、軌道上にはまだ手が伸びておらん。とはいえ今は、あそこまで人を出してを連れ戻す余裕もない。今は船を出し入れさせておけ」
***
【ロフォーテン星系 惑星ルドミラ第三十四中継港 リディア】
リディア・ハルランダー中尉は、建国宣言の日からずっと、惑星軌道上の第三十四中継港で避難輸送の管制を担当していた。医療船を先に入れ、負傷者を降ろす。避難船をその次に通し、出せる貨物船は星系の外へ出す。
「第六船渠を空けてください。医療船を入れます。避難船はその後です」
「貨物船は」
「出せる船から出してください。荷物より人を先に」
別の回線が点灯した。
「第三十四中継港です。識別番号と現在位置を送ってください。順番に誘導します」
端末の隅には、建国の日に帝国軍司令部から届いた撤収命令が残っていた。
受領済み。
実行欄は空白のままだった。
リディアはそれを開かず、次の船を呼んだ。
***
【ロフォーテン星系外縁部 軍管区司令官座乗艦 ギールケ】
その日の午後、外周監視網が新しい反応を拾った。
管区司令部の戦術表示に、教国の勢力圏内からロフォーテンへ向かってくる艦影の推定航路が描かれ始めた。
参謀長が表示を拡大した。
「偵察ではありません」
艦影は進路も速度も隠そうとせず、そのままロフォーテンへ向かっていた。
観測情報が揃うにつれ、推定値が更新されていく。先行する小集団の後ろに大きな艦群が続き、そのさらに後方にも反応があった。
「一万隻規模に達する可能性があります」
「……敵の一個艦隊か」
ギールケは通信士官へ向き直った。
「宇宙艦隊司令部へ緊急救援要請を出せ。敵一万隻規模、ロフォーテンへ進入中。ワーレン艦隊にも同報しろ!」
「了解」
宇宙艦隊司令部からの返答はほどなく来た。
ワーレン艦隊にロフォーテン方面への急行命令。到着見込み、二日後。
ギールケはその数字を確認してから、手元の戦力表示へ目を戻した。
数なら、こちらも一万隻ある。
敵艦隊の構成や練度は不明だが、ほぼ同数とはいえ正面から艦隊決戦を挑んで勝てる相手と考えるのは楽観的に過ぎる。
勝つ必要はない。
二日だけ持たせればいい。
援軍のワーレン艦隊一万五千が来るまで耐え、敵を止める。
それならやりようはあった。
「全戦隊、戦闘配備。外縁側に防御線を組め。こちらから前へ出るな」
参謀長が復唱した。
「遅滞戦ですね」
「そうだ。撤退命令も出ておらん。ワーレン艦隊が来るまで二日持たせる。その間に民間船をできるだけ逃がす」
ギールケは戦術表示に後退線を引かせた。敵に合わせて防御線を下げ、損傷艦は後方へ回す。無理に決戦せず、必要ならさらに退く。
辺境警備軍に勝つ必要はなかった。二日後のワーレン到着まで軍隊であり続ければいい。
各艦へ命令が流れ始めたところで、接近中の艦隊から通信接続の要求が入った。
通信士官が発信者を確認した。
「神聖黄金樹教国軍第四聖団〈ディス〉艦隊司令、イリヤ・ラザレフ従聖将と名乗っています」
ギールケは表示を見た。
「つなげ」
画面が切り替わった。映った男は若かった。
ギールケが想像していたよりも若く見え、教国軍の灰褐色の軍服を着ている。
ラザレフは形式的な挨拶を済ませると、静かな口調で本題に入った。
『帝国軍指揮官に申し上げます。ロフォーテン星系から速やかに撤収してください。武装解除を受け入れるのであれば、艦艇については航行に必要な装備を保持したまま退去を認めます。負傷者、非戦闘員、民間船舶への攻撃は行いません。撤収の意思を確認できれば、そのために必要な時間も与えます』
ギールケは椅子の背に体を預けた。
「ずいぶん話が分かるな」
『軍人同士ですから』
「軍人同士、だと?」
ギールケはそこで初めて笑った。好意的な笑いではなかった。
「私は旧王朝のころから自由惑星同盟軍と戦ってきた。ビュコックとはヴァンフリート、ティアマト、ランテマリオ、マル・アデッタに至るまで、何度も撃ち合った。ヤン・ウェンリーとも同じ戦場にいたことがある。パエッタ、カールセン、モートン。敵ではあったが、あれらはたしかに軍隊であった。何を守るために戦っているのかも、どこまでなら話が通じるのかも分かった」
笑みが消えた。
「貴官らについては、まだそれすら確かめられておらん」
ラザレフは黙って聞いていた。
「民主共和政の旗を掲げた連中とは、ずいぶん長く殺し合った。厄介な相手だった」
ギールケは画面の向こうの若い司令官を見た。
「民主共和政が負けたとなったら、坊主どもの走狗になったか」
ラザレフの周囲にいた幕僚の何人かが、わずかに顔をしかめた。
ラザレフの表情は変わらなかった。
ギールケは続けた。
「民主共和政の信念とやらもずいぶん底が浅かったらしい。聖王陛下だの聖団だのと名乗る神頼みの軍隊に入り、その軍服を着て帝国軍へ降伏を勧めるとはな」
『……我々は昔の自由惑星同盟を代表しているつもりはありません』
ラザレフは淡々と返した。
『それに、いま帝国軍へ退去を求めているのは私です。故人ではない』
「そうか」
ギールケは鼻で笑った。
「なら一つだけ訊こうか。貴官らは今、いったい何のために戦っている」
一拍置いた。
「墓場の奥でヤン・ウェンリーやビュコック、それに戦場で散った同盟軍の連中が見ていたら、今の貴官らの姿をどう思うだろうな」
ラザレフが返答するまで、画面越しなら見落としてもおかしくないほどわずかな間があった。
『死者の意見を確認する方法を、私は知りません。ですから、生きている者の責任で決めます』
声音は変わっていなかったが、ギールケの口元から笑みは消えた。
「それなら私も同じだ。ここは帝国領で、私は帝国軍人だ。自分の判断で明け渡す権限はない」
『撤収を拒否される、と』
「降伏も撤退もせん。貴官が武力を行使するなら、こちらも応戦する」
ラザレフはしばらくギールケを見ていた。
『承知しました』
ラザレフの背後で、誰かの声がした。
『祈燈を上げよ』
通信回線の向こうで復唱が続く。ほとんど同時に、こちらの観測席から声が上がった。
「敵艦群、〈光帯〉発生」
ギールケの目がわずかに動いた。
「……祈燈、か」
参謀長も気づいたらしい。
「あの発光を敵ではそう呼んでいるようですな」
「記録しておけ。原音も残せ」
「了解」
画面の向こうで、ラザレフに一礼するほどでもない小さな動きがあった。
『では、戦場で』
通信が切れた。
参謀長が暗くなった画面を見た。
「ギールケ閣下。嫌なところを突きましたな」
「叛徒どもに気を遣う義理はない」
ギールケは戦術表示へ視線を戻した。
「それより、いまの〈祈燈〉とやらを観測記録と突き合わせろ。使われる時機に癖があるかもしれん」
その直後、観測班から報告が上がった。
「〈ディス〉艦隊、加速します」
報告とほぼ同時に、灰色の艦列が動き始めた。
***
それまで一定の距離を保っていた〈ディス〉艦隊は、隊形を崩さないまま速度を上げた。
通常の艦隊戦なら有効射程へ入る前に横方向へ戦列を広げ、前方へ投射できる火力を増やす。
ところが教国艦隊はそうしなかった。小型艦を前に置き、その後ろへ巡航艦級、さらに大型艦を連ねた細長い縦列を維持したまま、帝国軍へ近づいてくる。
しかも前後の艦間距離まで詰め始めた。
参謀長が表示を見た。
「このまま突っ込んでくるつもりでしょうか」
「そう見えるな」
帝国側からすれば理解しにくい隊形だった。
前にいる艦が被弾すれば、後続艦の射界まで塞ぐ。先頭を崩せば全体の前進も乱れるはずで、わざわざ火力効率を落としてまで縦に長く並ぶ理由が分からない。
それでも〈ディス〉艦隊は隊形を変えなかった。
艦体には先ほどラザレフの側で〈祈燈〉と呼ばれていた金色の光がすでに上がっていた。
灰色の船体に刻まれた文字が細い金色の線となって浮かび、縦に連なる艦列そのものが一本の光の筋のように見える。
ギールケは距離を確認した。
「こちらからはまだ撃つな。先に撃たせる」
灰色と金色の艦列が近づいてくる。
「祈燈、継続。変化ありません」
観測士官が報告した。
やがて通信記録へ低い鐘が混じった。長く尾を引く音だった。
艦隊の発光に変化はない。速度も落ちない。
それが何のための鐘なのか、まだ帝国軍には分からない。
鐘が消えても〈ディス〉艦隊はそのまま進み続けた。
「敵火器管制反応、上昇しています」
「まだだ」
ギールケは待った。戦術表示の距離が縮む。
帝国側の砲術士官から射撃許可を求める通信が入ったが、ギールケは認めなかった。
相手が自分たちを新国家の正規軍と名乗る以上、最初の一発を撃った記録まで与えてやる必要はない。
やがて灰色と金の艦列が一斉に光った。
第一斉射が帝国軍へ届いた。
***
鐘が消えた。
次の瞬間、〈ディス〉艦隊の砲火が一斉に開いた。
艦列の前後で発射のずれがほとんどなかった。細長い縦列の各所から放たれた光条が、同じ瞬間に帝国軍の防御線へ集中する。
戦術表示から艦影がまとめて消えた。
「第七戦隊、被弾!」
「第十一戦隊、応答ありません!」
「損失、三十――四十を超えます!」
たった一度の斉射だった。
防御線の一角から、数十隻がほとんど同時に失われていた。
ギールケは表示を見たまま命じた。
「応射。先頭部へ集中しろ」
帝国側もただちに砲火を返した。
寄せ集めの警備艦隊とはいえ、集結の間に何もしていなかったわけではない。
各戦隊にはあらかじめ射界と目標が割り振られており、砲火は〈ディス〉艦隊の先頭付近へ集中した。
駆逐艦が数隻、光の中で消えた。
巡航艦にも直撃が続き、一隻は艦首を失って縦列から外れ、別の一隻は機関出力を急速に落とした。
「敵前列、複数損傷。航行不能艦あり」
参謀長が表示を見た。
「いけます。先頭は崩せます」
帝国の教範ならここで損傷艦を下げる。後続も速度を落とし、射界を確保しながら戦列を組み直す。だが〈ディス〉はそうしなかった。
航行能力を失った艦だけが縦列から押し出され、その空いた位置へ後続艦が前進してくる。
艦首から火を噴いているにもかかわらず、帝国軍へ向けた進路を保っている。観測士官が映像を拡大した。
「先ほどの戦闘不能艦、前進を継続しています」
「判定を間違えたのか?」
「いいえ。主機出力は推定で三割以下、姿勢制御にも異常があります」
「ではなぜ下がらん?」
誰も答えられなかった。半壊した巡航艦の残存砲塔がゆっくりと動いた。帝国軍へ向く。
「敵艦、再射撃準備!」
ギールケは即座に命じた。
「もう一度撃て」
帝国側の砲火が集中して船体中央で大きな爆発が起きても、敵艦はすぐには止まらなかった。
残った推力と慣性で前へ流れ、まだ生きている砲塔が照準を維持しようとしている。
その横を後続の灰色艦が抜け、損傷艦がいた位置へ入って帝国軍へ艦首を向けた。
同じ現象は別の射線でも繰り返され、帝国軍が撃って灰色の艦を燃やし、機関に損傷を与えても、使える火器が残る艦は容易に後退しなかった。
完全に機能を失って列から外れれば、その後ろにいた艦が何事もなかったように位置を埋めた。
戦果そのものは出ており、敵艦が確実に損傷しているにもかかわらず、帝国軍へ向けられている砲口の数だけが目に見えて減らなかった。
前列の戦隊から通信が入った。
『敵巡航艦、撃沈確実――いや、待ってください』
「どうした」
『まだ動いています。沈みません!撃ってきます!』
光学映像へ切り替わった。
艦首の半分を失った巡航艦だった。船体中央では火災が続き、外板の一部が吹き飛び、金色に光っていた経文も途中で途切れている。それでも帝国軍に向けて進んでくる。
『どうして沈まないんだ』
回線の向こうで誰かが言った。
『あれで、なんで撃沈にならない』
帝国軍がもう一度撃った。
今度こそ巡航艦が大きく爆発した。
その爆発光が薄れる前に、後ろにいた艦が灰色の船体を現した。金色の文字が灯っていた。
***
再び鐘が鳴ると、先ほどより多くの兵がその音を意識した。
祈燈が強まり、〈ディス〉前列の火器管制反応が上がったあと、鐘が鳴った。
第二斉射が帝国戦列へ届いた。
帝国軍の巡航艦が数隻まとめて被弾し、そのうち一隻が爆発して戦術表示から消えた。
灰色の艦列はその爆発を正面に見ながらさらに前へ出て来る。
帝国軍が反撃し、また敵艦を損傷させる。それでも止まらない。
鐘が幾度か聞こえるころには前列の兵士たちの受け取り方が変わっていた。
鐘の前後に砲撃が重なりそのたび味方の艦が沈む。
こちらが敵を燃やしても前進は止まらず、ようやく一隻を沈めても後ろから灰色と金の艦が同じ場所へ入ってくるという反復そのものが兵士を圧迫し始めていた。
戦隊回線には『また鐘だ』『また来るぞ』という声が相次いだ。
艦長が「射撃準備を続けろ。敵は別艦だ」と押さえようとすると怒鳴るような返答が戻った。
『分かっています!分かってるけど何隻沈めれば止まるんですか!』
答えられる者はいなかった。
砲術員の戦術表示では撃沈数が増えているのに目の前には同じ密度の敵艦が残っており、その数字と景色の不一致が恐怖を大きくしていた。
次の祈燈が上がった。
どこかの艦で予定より早く回避命令が出た。
その動きを見た隣艦まで進路を変え、二隻の間隔が急に狭まった。
「前列、隊形を維持しろ!」
命令が飛んだがその声に重なるように戦隊回線から叫びが上がった。
『あの鐘を止めろ!もう鳴らすな、やめてくれ!』
『鐘だ!また誰か沈むぞ!』
「敵の音声を切れ!」
通信士官が即座に答えた。
「切っています!鐘は音声回線からではありません!」
「では何だ」
「戦術受信系が別の信号を拾っています!艦内で鐘音に変換されています!」
恐怖は教国側から送られているのではなかった。
帝国軍自身の通信網を通って広がり始めていた。
『ああ、音だけじゃない!』
別の艦から叫びが上がった。
『光だ!あの光がまた来る!』
前方の灰色艦列では祈燈の金色が増光した。
『光が増えた!撃ってくるぞ!』
「黙れ!発射命令とは限らん!」
誰かが怒鳴ったがもう理屈で止まる段階ではなかった。
鐘を切っても光が残る。
光を見れば次の斉射を思い出す。
兵たちはまだ撃たれてもいないうちから統制を失い始めていた。
***
参謀長が回線を絞った。
「閣下。まずいです。戦列そのものはまだ持っていますが、鐘を聞いただけで動き始める艦が出ています」
ギールケはしばらく何も言わず、前線の通信を聞いた。兵士たちが臆病なのではない。
敵艦を壊せば下がり、戦闘不能になれば戦列から離れ、前列に損害を与えれば進撃速度が落ちるというのが常識であった。
だがそれまで当然と思っていた戦場の常識を〈ディス〉艦隊が一つずつ無視しているため、何を基準に恐怖を制御すればよいのか分からなくなっていた。そのうえ、死者が出るたびに同じ鐘が聞こえる。
ギールケは艦隊共通回線を開かせ、「全艦へ。鐘について一つ訂正する」と切り出した。
「鐘が鳴ったから艦が沈むんじゃない。少なくともいままでの斉射では鐘のあとに撃っている。だったらむしろ親切じゃないか。今から撃つぞと教えてくれているわけだ」
回線の向こうが静まるのを待って、ギールケは続けた。
「聞こえたら死ぬ順番だと思うな。鐘ではない。時計を見ろ」
ギールケは観測班へ、これまでの祈燈、鐘、火器管制反応、実際の発砲時刻を並べるよう指示した。
「鐘を止めたい奴は生き残れ。あとで鳴らしている船を探して沈めればいい」
戦隊回線のどこかで、乾いた笑いが漏れた。ほんのわずかだったが、悲鳴よりは役に立った。観測士官が過去の記録を比較した。
「斉射間隔に規則があります。完全に一致はしませんが、一分強……およそ七十秒です」
ギールケは、これまでの発砲時刻から次の斉射が来る可能性の高い時間帯を表示させた。
再び祈燈が強まり少し遅れて鐘が響くと前列の何隻かが身構えたが、ギールケは共通回線を開いたまま言った。
「まだだ。鐘でない。時計を見ろ」
警戒時間帯へ入り、火器管制反応が上がったところで、ギールケが命じた。
「今だ。回避」
帝国艦が進路を変えた。
直後に〈ディス〉の斉射が通り過ぎる。
被弾数はそれまでより減った。
「反撃」
帝国軍の砲火が灰色の艦列へ集中した。
何隻かが燃え、そのうちの一隻はなお前へ出ようとした。
なぜそこまでして進むのか、なぜ艦を退かせず一隻が倒れるたびに次を同じ位置へ入れるのかはまだ誰にも分からなかった。
だがわけの分からない敵の中にも一つだけ測れる反復ができていた。
およそ七十秒。
以後観測班はこれまでの発砲時刻を重ね、次の斉射が来る可能性の高い時間帯を各戦隊へ送った。
鐘だけを射撃命令とは見なさず、祈燈の増光や火器管制反応も合わせて見る。
それでも幅は残り完全に避け切れるわけではなかった。
数回繰り返すうち一部の戦隊では被弾が減った。
何より鐘が鳴れば次に誰かが死ぬという感覚が少しずつ崩れ始めた。
敵が撃ち終えた直後には反撃を集中できる時間もあり、〈ディス〉の前列にも損害を与えられる。
参謀長は戦果表示を確認して「正面だけなら、まだ持たせられます」と言った。
ギールケも否定しなかった。
「二日持てばいい。勝とうとするな。ワーレン艦隊が到着するまでの辛抱だ。下がりながら撃て」
帝国軍は〈ディス〉艦隊に確実な損害を与え、七十秒前後で繰り返される射撃にも警戒時間帯を置けるようになっていた。
開戦直後ほど一方的ではない。
ギールケは全艦へ敵にも損害が出ていることと、ワーレン艦隊が二日後には到着することを伝えさせた。
二日間なら持たせられる。
少なくともその時点ではそう考える余地があった。
その見通しが崩れたのはそれから間もなくである。
「第二補給集積所、応答ありません」
通信士官の報告にギールケは正面の戦術表示を見たまま答えた。
「予備回線で呼べ」
「すでに試しています」
続けてケリム方面の航路標識に位置情報の異常が出た。
ほぼ同じころ前線へ向かってきていた燃料船団が予定の会合点へ到着していないことも判明した。
やがて優先回線が開き船団の護衛についていた駆逐艦から通信が入った。
艦首装甲の一部を失い映像もひどく乱れていた。
『先頭船が通過した直後に航路標識の位置情報が変わり、後続が修正を始めたところを攻撃されました』
「燃料船はどうなった」
艦長は少し黙った。
『半数以上を失いました。残存船も散開しています』
補給担当がすぐに数字を更新した。
第二補給集積所からの供給をいったんゼロとし、失われた燃料船団を差し引いた結果が表示される。
ギールケはその数字を見た。
「現在の艦隊の備蓄で補給なくどこまで持つ」
「この戦闘密度を維持するなら、あと二十時間前後です」
ワーレン艦隊が到着するのは二日後だった。
司令部にいた者たちは問題の大きさを理解した。
正面の〈ディス〉を撃ち返す。後退しながら時間を稼ぐ。
その戦いを二日間続けるための燃料がなくなりつつあった。
ギールケは第二補給集積所の映像を要求した。
中継点を迂回して届いた映像では照明が消え、通信も途絶えていた。
「建国宣言以降に拾った所属不明反応を全部出せ」
観測記録が星図へ重ねられた。
単独で見れば偵察や航法不良と処理できた小さな反応ばかりだったが、現在の補給網を重ねると見え方が変わった。
第二補給集積所、燃料船団の航路、通信中継所、後退時に使う予定の航路、損傷艦の集結予定宙域。その周囲に、過去の所属不明反応が散っている。
参謀長がしばらく星図を見てから言った。
「……閣下、連中はこちらの艦を偵察していたわけではありません」
ギールケも同じことを考えていた。
敵が調べていたのは帝国軍がどこに何隻いるかではない。
どの補給所を使い、どの航路を通り、どこで修理し、どこへ退くのか。
帝国軍が戦い続けるために必要な場所を見ていたのだ。
観測主任が過去の所属不明反応を洗い直した。
数隻、数十隻という小さな反応が別々の航路から入り、そのまま見失われた。
偵察だけでは説明しにくいほど深い位置に残った反応が少数ながらいくつもあった。
正面の〈ディス〉艦隊とは別に戦闘開始前から帝国軍の後方へ入り込んでいた戦力がいる。
第二補給集積所、燃料船団、そしてギールケが後退時に使う予定だった主要航路。その周囲へ先回りし、戦闘が始まった瞬間に一斉にこれらを潰しにかかってきた。
「……偵察ではなかった」
ギールケは星図を見たまま言った。
「浸透だ。敵は少しずつ後ろへ入っていたのか」
誰もすぐには答えなかった。
正面では、〈ディス〉艦隊がなお損害を顧みない前進を続けてくる。
後方では、補給線と退路が潰された。
ワーレン艦隊の到着までの二日を持たせればよいだけの戦いのはずだった。
だが、その二日を支えるものがもう消されていた。