高校生の僕にはとある知り合いがいる。
 青空に黒髪をなびかせる狷介孤高にして阿諛追従を決して許さない彼女。迎合も低頭も牛乳パックを片手にした彼女の前では蠕動しながら潸然と泣いて逃げ出すだろう。
 僕にとっては高嶺の花で、手を伸ばそうだなんて、乾坤一擲にしても猿猴捉月だった。そういう事だ。どういう事だ。難しい言葉を使ってみたい年頃なのだ。

 玲瓏静謐で無為自然に振る舞い、哲学の様な世迷言ないしダジャレをブツブツ呟く彼女に、酷く矮小な人間たる僕は何を想ったのだろうか。僕の腐りきった脳味噌と双眸は何を視るのだろうか。
 なんて言ってみるけど、多分、僕も彼女もそんなに深く考えていない。考えれない。過去を振り返っても、一歩も進まない。進めない。あの時どうだったか、なんて"あのときはそうだった"としか言いようがないんだ。

 僕には小説の中の主人公達の様に、その場で考え、思考し、思って、想って、何かを奏功したり成功したりってのは出来ない。せいぜい、夜中に後悔しながら布団の中で足をジタバタさせるだけ。
 僕は小説の様に、整合性も論理性もあって、必要な情報は全部開示されていて、行動や言動に意味も意志も意義もキッチリある人生を送れない。
 でもそれは、決してサクセスストーリーを送れない事の証明ではないと思うんだ。
X(Twitter)  ▲ページの一番上に飛ぶ