図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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ここでは語り部であるキイが自明であるとして説明しなかった箇所や、作中では直接言及できない部分についての解説をします。ここで解説されなくとも、将来的に物語の中で説明されることがあるかもしれません。キイの早口の脳内思考をちゃんと読んでいるような読者向けになりますので、あらかじめご了承ください。


第2章解説

客人

この衙堂の司女をしている方で、ハルツさんと言う。

「衙」は役所の意。

 

粥を薄めて弱発酵させた清涼飲料水もある。

今日の東欧で飲まれる「クワス」に近い、のかもしれない。

 

コムギなのかオオムギなのかはわからないが、イネ科と思われる脱粒性のない穀物だ。

本来植物の種は落ちなければ繁殖ができないのだが、種を食べる場合落ちてしまえば回収が難しい。そこで種を落とす性質(脱粒性)に関係する遺伝子が異常を起こせば収穫が容易となる。逆にそうでない株は収穫量が減るので、収穫したものを蒔いていれば脱粒性を持たないものだけが選ばれていくことになる。

 

Hillman, Gordon C.; Davies, M. Stuart. Measured domestication rates in wild wheats and barley under primitive cultivation, and their archaeological implications. Journal of World Prehistory. 1990, vol. 4, no. 2, p. 157–222. (原始耕作下の野生コムギとオオムギの栽培化率の測定とその考古学的意義)によれば適切な選択を行うことで非脱粒性をおそらく数十年で持たせることができるとしている。

 

脱穀し、()で軽い藁屑などを飛ばし、軽く水につけた後で挽いて、その後果皮を取り除いて、更に粉にして、こねて、と手間がかかるがそれだけの価値はある。

()については1848年ごろに描かれたジャン=フランソワ・ミレーの「Un Vanneur(箕をふるう人)」と題された三枚の絵を見てもらうのが一番いいと思う。ロンドンのThe National Gallery(ナショナル・ギャラリー)におけるNG6447、パリのMusée du Louvre(ルーヴル美術館)におけるRF 1440、同じくパリのMusée d'Orsay(オルセー美術館)におけるRF 1874として所蔵されている。

 

図示

私が使っているのはなんてことはない、ただの(A)進位取り表記法だ。

$N$ 進数とは $N$ 個の数字を使い、$N^m$ ($m$ は整数)で位を上げて行くもの。コンピュータ分野ではオフ($0$)とオン($1$)の2つの「数字」を使う2進数が、あるいは2進数を4桁ずつまとめて $0, 1, 2, \ldots , 9, A, B, C, D, E, F$ の16種類の「数字」を使う16進法が用いられる。ここでもし2進数の世界の人が自分の使っている表記体系を説明しようとすると「10進数」となり、16進数の世界の人間も同じように「10進数」を用いているとしか説明できない問題が存在する。これを回避するために漢数字を用いることや、より $N$ の大きい表記法における表現を使うことがある。

 

人口比や出生者数・死亡者数に目が向けられるのはもう少し先の近世あたりからとなる。ああくそ面倒なことにこういう事を考えるだけで「君は近世の始まりをいつ頃だと考えているのかね?」という面倒な宗教論争の火蓋が切られかねない。

出生・婚姻・死亡に関する研究としてはジョン・グラントが1662年に発表した「Natural and political observations in a following index, and made upon the bills of mortality (死亡表に関する自然的および政治的諸観察)」が最初期のものとして知られている。ヨーロッパにおいて中世が終わり、近世が始まる過渡期の出来事としてはルネサンスや宗教改革が挙げられるが、これらは全ヨーロッパで瞬時に起きたものではないため明確な基準とすることは難しい。一般的には1453年のオスマン帝国の攻撃による東ローマ帝国首都コンスタンティノポリスの陥落を境とする意見が有力である。

 

収穫祭

そして、私がここで観察してきた生活にはかなり宗教色が見られる。

異文化側と接触した際の記録では、敬虔さが強調されることがある。しかしながら、多くの文化では宗教は日常生活に深く溶け込んでいてなかなか自覚する機会がなく他の文化における宗教的価値観の内在を強く認識するのでは、という話がある。

 

ここの文化では人々は基本的に裸足なのだ。

古代中国の人々や古代ローマの市民は靴を履いていたが、古代ギリシャや古代インドでは裸足であった。そして多数派、あるいは地位や資産がある階層が靴を履く文化では裸足は排斥される対象となったり、敬意を示す表現と関わったり、侮蔑を意味することがある。

 

「いない、と思ってくれて構わないよ」

聖庇(アジール)はしばしば社会的立場が弱い人々、例えば未亡人や離縁を行いたい女性の庇護を行っていた。

 

 

雑種

私だって葬式の時に読んだお経の意味がちゃんとわかっていたわけではないし、スワヒリ語の主の祈りの意味を意識して歌っているわけでもない。

「スワヒリ語の主の祈り」とはクリストファー・ティンによる楽曲「Baba yetu」のこと。「あと1ターンだけ……(just... one more... turn...)」とプレイし続けていると日が明けていることで有名なSid Meier's Civilizationシリーズの第四作目、「Sid Meier's Civilization IV」のオープニング曲であり、ゲーム音楽としては初のグラミー賞受賞楽曲。

 

「そのときには、『巻毛になれ』という命令のほうが顕れる。そして、『巻毛になるな』という命令は潜ってしまう」

2017年に日本遺伝学会は「遺伝学用語改訂について」内でdominantとrecessoveの訳語として使われていた優性、劣性という単語をより中立的な顕性、潜性という訳に改定する提案を行った。これを受けて日本医学会は「遺伝用語に関するワーキンググループ」を設置して協議を行い、「顕性遺伝」「潜性遺伝」を推奨用語とする答申書を作成した。また、2021年度からは中学理科の教科書での用語表記も変更されることになった。

 

「あー……そういうこと、ですか。ともかく、面白い考え方ですね」

「生物は生まれてくる前にすでに構造ができていて、入れ子のようになっている」とする前成説は18世紀まで主流であった学説だった。そうでなくとも、生命の発生過程と遺伝と生殖の深い結びつきについてはかなり古い時代から知られていたと考えていいだろう。

 

純潔

宗教と性や純潔についての関係は、本当に複雑だ。

性についての話は人間が猥雑な話を好む社会的動物である以上盛られがちであるということを加味しても、純潔と同じぐらい例がある。

 

人情

歩いて三日とかを普通に「近く」と言いかねない。

嫌な予感というのは当たるものである。

 

誓約

それより人口四十万で世界最大級の都市ということは、そこから世界人口を割り出せないだろうか?

ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチョーリは1661年に世界人口を10億人と推計したが、今日の研究ではもう少し少なかったのではないかとされている。このあたりについてのわかりやすくまとまった日本語文献としては 林玲子. 世界歴史人口推計の評価と都市人口を用いた推計方法に関する研究. 政策研究大学院大学, 2007, 博士論文. がある。

 

城邦(しろぐに)とでも訳してみようか。

城邦(chéng bāng)は中国語で都市国家を意味する。

 

「舐めてもらえますか?」

血を舐めるという行為は感染症の問題を生む場合がある。特に体液と粘膜の接触によって感染するタイプの病原体(特性上性感染症と呼ばれることが多い)であれば、血を舐めることで十分感染を引き起こせるだろう。

 

告白

告白

こく-はく (名詞) アバキ、ツグル(コト)。告ゲ訴フル(コト)

──大槻文彦編「日本辭書 言海」より

 

「……私の好きに答えていいなら、それは金属を削るための特別で大きな道具だ」

技術史の観点で言うならば、様々な金属部品を高精度で加工可能なように設計された旋盤のような工作機械によって精密な機械部品を作ることができるようになったと言える。

 

「この部屋に来たときから、そのくらいは覚悟できてますよ」

キイはケトのこの言葉の意味を理解していない気がするのは気のせいだろうか。

 

学問

解体新書、舎密開宗、西洋事情。

「解体新書」は1774年に発行された解剖学書。前野良沢や杉田玄白を始めとする医師らがオランダ語の「Ontleedkundige Tafelen(解剖図録)」(オリジナルはヨハン・アダム・クルムスによるドイツ語の「Anatomische Tabellen」)を中心にヨーロッパの解剖図を訳したものであり、その過程で多くの解剖学用語が作られた。

 

「舎密開宗」は宇田川榕菴によって記され、1837年から1847年にかけて発行された化学書。舎密はオランダ語chemieの音訳。ウィリアム・ヘンリーによる「An Epitome of Experimental Chemistry(実験化学概論)」あるいは「Elements of Experimental Chemistry(実験化学の基礎)」のドイツ語訳のオランダ語訳を底本としながら、様々な資料と実験に基づいて纏められた。今日の漢字で書かれる化学用語の多くが本書で使われた訳語である。

 

「西洋事情」は福沢諭吉による西洋世界の啓蒙書。視察で得た知見と様々な資料によって様々な分野について触れることを通してあたらしい西洋観を提示し、その後の日本という国家自体の方針にも影響を与えた。西洋思想についての翻訳語は今日でも使われている。

 

通貨

その表面に刻まれた古帝国語と呼ばれる表意文字は銀の品質と重量を保証し、多くの人の手を経て表面の凹凸が均されながらも世界交易で通用する通貨となっている。

古代ギリシアのドラクマ硬貨、古代ローマのデナリウス銀貨、ヴェネツィア共和国のドゥカート金貨、宋の銅銭など共通貨幣は世界史においてしばしば登場する。

 

通貨

スウェーデン国立銀行が賞金を出すEkonomipris(経済学賞)で市場における情報の非対称性の研究者が受賞した年があったはずだ。

2001年、非対称情報下の市場の分析に対してジョージ・アカロフ、マイケル・スペンス、ジョセフ・スティグリッツの3名がEkonomipris(経済学賞)を受賞した。この賞はアルフレッド・ノーベルの遺言で規定されたものではないため厳密にはノーベル賞ではない。

 

なお、この前にケトが語っていた内容は George A. Akerlof. The Market for "Lemons": Quality Uncertainty and the Market Mechanism. The Quarterly Journal of Economics. 1970, vol. 84, no. 3. p. 39-78. (「レモン」市場 : 質の不確かさと市場メカニズム)の論旨とよく似ている。

 

原典は古帝国時代、鋳貨廨……貨幣を作っていた施設で受け継がれてきた言葉らしいです。

「廨」は役所の意。

 

計画

確か明宮嘉仁親王が使っていたという話があるから、デザインの権利は切れている。

明宮嘉仁親王は後の大正天皇。

 

「一応これでも……なんて言えばいいかな、特別最上等若匠頭、だったんだよ」

 

うん。非常に語弊がある。ジュニアマイスター顕彰制度で危険物取扱者甲種やら測量士補やら技術士補やらを取ってポイントを貯め、なんか表彰を受けたというだけだ。

ジュニアマイスター顕彰制度は全国工業高等学校長協会が主催するもので、資格取得や検定によって得られるポイントに応じて表彰されるという制度である。キイは個人特別顕彰を受けたと考えられるが、これを受賞できるのが年に百人程度というだけでありジュニアマイスター顕彰制度全体では近年では一万人を越える工業高校生が顕彰を受けている。工業科の生徒は一学年あたり十万人弱なので、案外表彰されるだけなら狙えなくはない。個人特別顕彰は難関資格・検定を複数突破し、かつ校長の推薦が必要であるのでハードルは高いが、こういう活動に力を入れている学校であればサポートがつく場合もある。「追加の表彰状も盾もなかった」ということは経済産業大臣賞や全国工業高等学校長協会理事長賞は手にできなかったのであろう。

 

参考までに危険物取扱者甲種は高校生であれば乙種危険物取扱者免状を規定の4種類以上持っていなければ受験資格が手に入らず、技術士補の試験問題は選択式とはいえ学部卒業レベルである。それに比べれば測量士補は合格率も30%を越えるなどそこまで難しくないように見えるが錯覚である。もちろんこれ以外にもこまごまとキイは資格を持っていたのだろう。

 

$$\require{mhchem}\ce{Na2CO3 + Ca(OH)2 -> 2 NaOH + CaCO3 v}$$

TeXの拡張機能で化学反応式の組版に特化したmhchemというものを使っている。今後こういう反応式が出てくることがあるだろうが、別に読み飛ばしてもそこまで問題はないと思う。

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