図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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ここでは語り部であるキイが自明であるとして説明しなかった箇所や、作中では直接言及できない部分についての解説をします。ここで解説されなくとも、将来的に物語の中で説明されることがあるかもしれません。キイの取った選択について、別ルートがあるんじゃないかと調べるような読者向けになりますので、あらかじめご了承ください。



第20章解説

帰路

かつての世界では宗教的影響もあって長い間行われない期間があったせいで誤った知識を元に医学が組み立てられた時代があったが、

人体解剖(あまり信用されていないクイントゥス・セプティミウス・フロレンス・テルトゥリアヌスの伝によれば生体解剖も含む)を行った最初期の人物であるとされる紀元前300年頃の古代ギリシアの医学者、ヘロフィロス以降細々と続いていた人体解剖の系譜は、アレクサンドリアで解剖を学んだという2世紀のガレノスの頃には行われなくなっていた。このガレノスが医学書を著した直後にローマ帝国が東西に分裂するなど欧州情勢が複雑怪奇になったせいで、それ以降長らくガレノスの著作が広く認められていた。それ以降、14世紀前半に行われたモンディーノ・デ・ルッツィによるものまで系統的な学術的研究のための解剖は長らく行われていなかった(行われていたとしても非常に少なかった)とされている。

 

一体程度の遺体でもちゃんとやればかなりの情報を得ることができる、はず。

多くの医療従事者が経験している人体解剖実習を踏まえたもの。これは死体解剖保存法における系統解剖に分類され、医学に関わる大学(まあ医学部や歯学部)で行われる必要があるが、実習への参加自体は別に医学部や歯学部の学生である必要はない(昭和二四年六月一五日医発第五一九号「死体解剖保存法の施行に関する件」を参照のこと)。

 

それでも絵とは違った正確さを出すことができる。

レオナルド・ダ・ヴィンチは数十体の解剖を行ったが、当時の医学的知識に基づいた描写や誤解などに基づく誤った部分が存在する。例えばThe Royal Collection(イギリス王室コレクション)の一つ、RCIN 919054に見られる肺のスケッチは対称性が高く、明らかに誤りである。これに対し、写真は写実性において正確ではあるがそういう写真はわかりやすいものでも見やすいものでもないため、未だ多くの解剖学の教科書にはイラストが用いられている。

 

あれは完全に名刺ばらまきの結果手に入ったものだしな。

それなりに大きいシンポジウムとかで名刺ばらまきをすると結構変な人の名刺が手に入る。たのしい。

 

気化熱

とはいっても天上世界の第五元素ではない。

エーテルは古代ギリシアの哲学から中世のスコラ学まで存在した概念であり、アリストテレスの四元素説を拡張して第五の元素としても扱われた。「地上の物体はなぜ直線的に地に落ちて停止するのに、天上の星々は円を描いて永久に運動し続けるのだろうか?」という疑問について答えたものである。この仮説では天空には非常に軽いエーテルが集まっているとされ、化学物質のエーテルも揮発性の高さからその名がつけられた。

 

メチルアルコールより安全。

メチルアルコールは10 mL程度で失明し、その数倍で死んでしまうが、ジエチルエーテルであればざっくり倍程度まではいけるはず。なおエチルアルコールはさらにその倍ぐらいまで大丈夫。こう聞くとアルコールって危ないのでは?と思う読者もいるだろうが、その通りである。

 

私の記憶ではエチレンプロピレンゴムみたいなものを使っていたが、重合にはそれなりの圧力かツィーグラー=ナッタ触媒が必要になる。

エチレンプロピレンゴムは石油系の油への耐性はあまり良くないが、エーテルには溶けない。この合成のためにはエチレンとプロピレンを共重合させる必要があるが、このような反応を容易に行うための触媒がカール・ツィーグラーの発明を改良したジュリオ・ナッタによって生み出された。というかエチレンプロピレンゴムの発明者がジュリオ・ナッタである。あとキイはそれなりの圧力と言っているが、多分これは適当。

 

まあチタンはそれなりにありふれているし、四塩化チタンは蒸留で比較的簡単に回収できるからマシではあるが。

チタンは質量比で地殻にざっくり0.6 %ほど存在する。これより多い金属はアルミニウム、鉄、カルシウム、ナトリウム、カリウム、マグネシウムしかない。四塩化チタンはこのようなチタンを含む鉱物を炭素で還元した上で塩素を含む環境で加熱すれば得られる。なおここでは助触媒に使われるトリエチルアルミニウムの存在を忘れているので、全然マシでもなんでもない。

 

パーライト。フェライトとセメンタイトの共析晶と同じで真珠(pearl)に由来するが、こっちは中に水が入ったガラス様の岩石を加熱して作るものだ。

もととなる火山岩である真珠岩に由来する名前。割ると真珠に似た小さな球状の破片が出ることからこの名がある。なお共析晶のほうのパーライトはフェライトとセメンタイトが交互に析出することで生まれるもので、真珠と似たように層状の構造を持つことからこの名がある。特に微細なものはソルバイトと呼ばれることがある。

 

凹面鏡

基本的には真空管で技術蓄積があるのでそう難しくなかったらしい。

この世界、白熱電球より先に真空管が作られているのである。エジソン効果はどこで見つかったのかが後世の科学史家の論点になりますね。

 

「ああ、商会の方から頼まれて話に乗ったやつですね。面白かったので半月ほど取り組んでいたんです」

後の大発見とされるものが数年とかもっと短い期間でなされることは比較的よくある。まあもっと独特なものであると相手の話を途中まで聞いて結論を出すとか、通りがかった議論を少し聞いて結論を出したりなんてエピソードがあったりする。なおこの手のネタは根拠が怪しいことも多いし、科学史のネタ以上のものではなかったりするのでここでは具体的にはあまり触れない。遺族に頼んで残された手紙とか漁りたくはないんだ、許してくれ……。

 

問題はむしろ半通径を調整する方だと言う。

楕円曲線において円の半径に相当する部分の長さのこと。数学的に言えば、円錐曲線は極座標で

 

$$r(\theta) = \frac{l}{1 - \cos\theta}$$

 

と表されるが、この時の $l$。

 

「まず、二軸を直行させてある数とその数を二乗した数を対応させるような曲線を考えます」

私たちの世界における数学史では「デロス島の問題」としても知られる立方体倍積問題を解く際に古代ギリシアのメナイクモスが導入したものが放物線の始まりであるとされている。なおプルタルコスの伝によると彼のやり方は「数学的ではない」と言われたらしい。当時の数学の純粋性の追求はある意味で数学の実用化を阻んだ側面がある。

 

一点に集まると言う話はありましたが、それは球の一部を切り取ったものに対してでした。

まあ点火ぐらいの実用レベルでは球面鏡であまり問題はない。一応私たちの世界ではペルガのアポロニウスがここらへんの研究をしているし、シラクサのアルキメデスが理解していたとしてもおかしくはない。裏設定ではあるが、作中の科学史では立方体倍積問題がなかった、あるいは数学の純粋性が算学と幾何学の境目をゆるやかにつなぐという目的からあまり重視されなかったのがあって円錐曲線の概念が生まれていないか、いい加減であった。

 

曲線

多分中国語文化圏で徐光啓とマテオ・リッチあたりがいい具合に翻訳したのだろう。

マテオ・リッチは教皇領出身のイエスズ会員で、明への宣教を行った。彼の弟子となった徐光啓と協力してユークリッドの原論を「幾何原本」として翻訳している。この本文を持っていないので解らないが、時代的にこのあたりでラテン語のParabolaeが放物線として翻訳されていてもおかしくはないはず。ここらへん詳しい方がいれば教えてくだされば幸いです。

 

アリストテレスの物理学論とも、その後に生まれたヨハネス・ピロポノスやジャン・ビュリダンみたいなものとも違う。

ヨハネス・ピロポノスはアリストテレス批判の中で活力(impetus)と呼ばれる概念を生み出し、運動が始まる際に与えられた活力(impetus)が切れることで運動が停止するとした。ジャン・ビュリダンはこの理論をより洗練させ、運動量と似た概念にまで押し上げた。しかし残念なことにここで重要なのは運動エネルギーなので次元が違う。

 

指数関数をベースにした懸垂線でもいいはずだ。

懸垂線(カテナリー)は両端を持って紐を垂らしたときの紐の形であり、双曲線余弦関数と呼ばれる関数が描く曲線と同じになる。これは二つの指数関数の和として表すことができる。

 

直線や円の組み合わせだと考えてもいい。

ヴァルター・ヘルマン・リフが「Bawkunst Oder Architectur aller fürnemsten Nothwendigsten angehörigen Mathematischen und Mechanischen Künsten eygentlicher Bericht und verständtliche Underrichtung zu rechtem Verstandt der Lehr Vitruvii in drey fürnemme Bücher abgetheilet」の215頁に掲載した木版画にあるようなもの。これは恐らく別の本とかから持ってきたものだろうが、具体的に漁ったわけではない。Wikimedia CommonsにFile:Buridan-impetus.jpgとして保存されている。

 

こうした事を今日の科学観をもって見るのは当らない。

中島敦「名人伝」の一節より。

 

これを壊すのは相当に面倒だが、私は結構好きだったりする。

ここらへんの思想が強いのは板倉聖宣の系譜にある仮説実験授業とか。

 

まあこういうこと言うと戦争なので私はあまり言わなかったが。

ただ、中にはこの(よどみ)であることに自負を持つ哲学者もいるので怖い。

 

というか積分をやるなよ。

積分の起源を面積に求めるのであれば、シラクサのアルキメデスのやった放物線と直線に囲まれた図形の面積とかのあたりには萌芽が見られる。微分が生まれたのはアイザック・ニュートンやゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツのあたりなので、かなり間が飛んでいる。

 

凹版

いわゆるワニスである。

ニスとも言う。速乾性かどうかで使い分けたりもする。

 

私の知識を漁っても木凹版というものはなかなか出てこなかったので

書くにあたっていろいろ調べたんですが、木凹版ってあまりないんですよね。なんでだろ……。

 

医療機器

ダニエル・ガブリエル・ファーレンハイトさんはお帰りください。

華氏温度、あるいはファーレンハイト温度と知られる温度体系を作った人物。記号は°F。こんなよくわからないものを使っているアメリカはやはりおかしいのでは?

 

いや血圧計だとすればサミュエル・ジークフリート・カール・フォン・バッシュとかシピオーネ・リバ=ロッチとかの名前を挙げたほうがいいか?

サミュエル・ジークフリート・カール・フォン・バッシュは感圧部分を押し付けるようなメーター式の血圧計を生み出し、シピオーネ・リバ=ロッチは圧力を加えられるカフを組み込んだ。

 

カフには継ぎはぎして膠で気密した膀胱を

カフとは血圧計の膨らむところ。

 

コロトコフ音も一応聴き取れるので血圧は出せるだろう。

ニコライ・セルゲイエヴィチ・コロトコフは血圧計で圧力をかけながら血管内の音を聞くと圧力の変化とともに変わる音を発見し、これを血圧測定に利用することを提案した。今日、この音はコロトコフ音として知られる。

 

オシロメトリック法みたいなのは流石に無理。

血管壁の拍動による圧力の変動を用いて血圧を求めるもの。今日の自動血圧計ではこの方法が用いられている。

 

圧力計とポペットバルブを組み合わせた簡易なものだ。

ポペットバルブはバネと金具の組み合わせで流量を調節し、一方向にしか空気を流さないようにできるタイプのバルブ。

 

 

控室

なんか話を聞くとフリーの政策担当秘書みたいなものをやっているらしい。

国会議員は国費で3人の秘書を雇うことができるが、その中でも主として議員の政策立案及び立法活動を補佐する秘書のこと。なお博士号とかの資格を持っていると面倒な試験なしに審査認定を受けられるが、ほとんどの政策担当秘書は年数経過で資格を得たものである。

 

まあ問題はトレンス試薬のためのアンモニアか。

ベルンハルト・クリスティアン・ゴットフリート・トレンスによって作られた硝酸銀水溶液、水酸化ナトリウム水溶液、アンモニア水の混合物。アルデヒドなどの還元性の物質があると銀鏡反応を起こすが、ちょっと放置すると雷銀ができて爆発する。ガラス容器を割るぐらいの威力はあるので、代替としてアンモニアのかわりにチオジエチレングリコールを使って錯体を作ろうみたいな試みもある。

 

長卓会議

一種の緊急避難とかみたいな扱いらしい。

もとの法では違法だが、条件をつけることで罪になることを回避しようとしている。まあ緊急避難をどう扱うかについては色々と学説があるので大変。

 

「そう考えれば、今の頭領は決して無能ではないのだよな」

キイを手に入れるという判断をしただけで十分有能である。もっとこう脅して殺人兵器を作らせるとかそういう方向に走ってもいいのに……。

 

政治

疣贅(いぼ)熱、血咳病、粒疹、そういうものですか?」

血咳病のモデルは結核、粒疹のモデルは風疹。疣贅(いぼ)のできる熱病はあまりないが、ダニエル・アルシーデス・カリオンによってカリオン病として同一の病原体によるものとまとめられたオロヤ熱およびペルー(いぼ)なんてものはある。

 

立法

それをやると統治権の正当性を血縁という形で保証する頭領がいなくなるので面倒な法哲学上の問題が起こる。

王権神授説や社会契約説とはまた違う思想。ここらへんはまた後に語られることがあるかもしれない。

 

なんか知ってる話だぞ?

モデルは日本国憲法。

 

あれは戦力ではありません、専守防衛のための必要最小限度の自衛力ですよ。

日本国自衛隊と日本国憲法9条の間の面倒事をどうにかしようとしている日本政府の見解。

 

ま、ここらへんはそれなりに成功してそれなりに失敗した国の事例が頭の中にあるので多少は参考になるだろう。

日本のこと。一応この国は世界指折りの経済、教育体制、科学技術、軍事力を持っているのでどう考えても一流国である。失敗国家ではない。

 

生気

原稿出せます?

Publish or Perish(出版か死か)というある種の格言がある。なお別に出さずに逃げてもいいのです。

 

なんだ、ただのオピオイドか。

アヘンは昔から薬や嗜好品として用いられてきたが、それは含まれるモルヒネのようなオピオイドの作用である。

 

早く土から放線菌を見つけてこないと。

最初の抗結核抗生物質であるストレプトマイシンが放線菌のStreptomyces griseusから抽出されたことを踏まえたもの。

 

医者になって死体解剖をする割合はあまり多くはなかったはず。

実際病理や監察医以外はほとんど行わない。特に解剖する理由もないし暇もないしね……。

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