図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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ここでは語り部であるキイが自明であるとして説明しなかった箇所や、作中では直接言及できない部分についての解説をします。ここで解説されなくとも、将来的に物語の中で説明されることがあるかもしれません。細かい機構がちゃんと描写されないのは作者が考えてないからじゃないかと邪推するような読者向けになりますので、あらかじめご了承ください。


第22章解説

開封

となると、当時のハルツさんは十代後半といったところか?

歴史的に見てこの年齢に最初の出産をすることは決して珍しいことではないが、それでも一人で子供を育てるのは相当大変である。ハルツさんはかなり強い人だったに違いない。

 

農業

ここらへんは結構性善説システムなので、早めにレッドチームを編成したいところだ。

レッドチームはセキュリティなどの分野で脆弱性の検証などのために結成される攻撃用のチームのこと。防御側はブルーチームと呼ばれる。本来は机上演習などから来た軍事用語。

 

命令

天賦人権説は採用されていない。

人間は生まれながら自由で平等であり、基本的人権を持つという考え方。西洋における自然権の考え方と地続きだが、儒教などの影響も受け日本で発展した。とはいえそんなに「自然」であれば論理的に導き出せたり、あるいは全ての文化で共通した概念が見られなければならないのでそんなものは存在しないと考える人もいる。

 

なんで農地改革が成功しているんだよ。

農地は耕作者が持つべきという考え方のもとに地主から小作農に土地の権利を移した連合国軍総司令部の政策についての言及。日本ではそれなりに目的を達成したが、類似の試みが行われた例を見る限り成功率は高いとは言えなさそうだ。

 

そういうわけで主要農作物は衙堂を通さない販売が禁止されている。

モデルは農協。別に農協を通さない販売が禁止されているわけではないが。

 

地方巡りとかしてドブ板活動をしなくていいのは楽だ。

ドブ板とは道路の脇にある排水口に乗せられた板のこと。この板を渡ると個人の敷地になるが、それを越えて一軒一軒訪ねて行うような活動のこと。現在は公職選挙法一三八条によって戸別訪問が全面的に禁止されているので、選挙活動として行うことはできない。

 

ロビー活動で色々な事ができてしまうのはそれはそれで問題な気もするが、

ロビー活動は議事堂などの「ロビー」で有力者に声をかけることで政治的影響を与えようとしたことから来ており、うまくやれば一人に対して働きかけるだけで大きな政策方針変更などを実現することができる。なかなか聞き入られることのない少数派の声を政策決定者に届ける事ができるという側面と、そういう活動ができるほど余裕がある大きな団体や組織への利益誘導になるという側面があるのでめんどくさい。

 

これぐらいなら今の「総合技術報告」編集所のキャッシュフローでも対応できる。

非常に雑に言っていいならば、手持ちの現金の流れのこと。利益を上げていてもそれを次の投資に回しすぎたりしているとキャッシュフローが悪くなってすぐに現金が必要な時に困ることになる。

 

議論

Accademia dei Linceiよろしく動物の名にでもあやかるか?

Accademia dei Lincei(山猫学会)はフェデリコ・チェージらによって教皇領のローマで1603年に設立された団体。自然科学に力を入れており、今日の学会の起源の一つとされる。なお、Lincei(山猫)の名は当時の知識人であったジャンバッティスタ・デッラ・ポルタが書いたMagia Naturalis(自然魔術)内の言葉が由来。なおジャンバッティスタ・デッラ・ポルタもAccademia dei Segreti(秘密学会)という団体を作っている。当時はこういうのがいっぱいあったのだ。

 

とはいえこの世界にはディオスクーロイもいなければ彼らに助言した人もいないので

Διόσκουροι(ゼウスの息子ら)とはギリシア神話に登場するカストールとポリュデウケースの兄弟を指す。ラテン語読みならカストルとポルックス。プルタルコスの述べるところによると、さらわれたヘレネーを救おうとした二人にアカデモスという人物が彼女の居場所を教えたという。その彼の聖域とされる地にプラトンが作った学園はアカデミアと呼ばれ、アカデミーという言葉はここから来ている。

 

来なくちゃいけないことの裏返しでなければいいのだけれどもな。

発展途上国や政治的・経済的に不安定な地域ではそうでない地域よりも女性の理工系分野への進学率が高い傾向がある。これはそうやって手に職をつけることが将来的に求められるからで、これが果たしていいことなのかどうかはわからない。

 

てなわけで、オープンスペーステクノロジーめいた会合の始まりである。

オープンスペーステクノロジーはハリソン・オーウェンによって開発された会議方法である。ノリとしてはコーヒー休憩のおしゃべりを体系化したものに近い。

 

引力

「ええと、月までの距離は月食と大地球の位置から計算できます」

古代ギリシアの天文学者ヒッパルコスによる観測と計算がモデル。

 

この世界でも金環日食と皆既日食が起こる。

月と地球を一つの系と考えた時その角運動量は一定に保たれるが、潮の影響があることで地球の角運動量は消費される。そのかわりに月の角運動量が増加し、公転半径が増加する。そのため数億年後になるだろうが地上から見た太陽よりも月が小さくなってしまうために皆既日食が起こらなくなる。

 

それになんだ、距離の二乗って。引く力は明るさか何かなのかい?

私たちの知る科学史では光との類推から万有引力の法則における逆二乗則が作られたが、それを前提にしている。

 

期間の二乗は、半径の三乗に比例するんですよ。

ヨハネス・ケプラーがHarmonices Mundi(世界の調和)内で1619年に発表した法則。ケプラーの第三法則として有名。円運動であれば高校物理のレベルで扱える。

 

いえいえ、僕がやったのは最初の最初だけで、後は色々と本職の天文学師とかがやってくれたんです。

ヨハネス・ケプラーが惑星の運動を計算できた理由の一つとして対数の利用が挙げられる。というか先程挙げたHarmonices Mundi(世界の調和)の中に思いっきりジョン・ネイピアの話が出てくるし、彼と独立に対数を利用していたヨスト・ビュルギがヨハネス・ケプラーの計算係をしていた。

 

楕円もだいたい似たようなものなので、射影幾何学とかを使えば同じように考えられる。

プロジェクターで円を映す時、スクリーンとプロジェクターの位置関係を変えると楕円になる。射影幾何学はこのような射影変換をもとにした幾何学のこと。数学的にシンプルであるが、無限遠点の導入などの普通のユークリッド幾何学からすればあまり直感的ではないものが色々導入されている。

 

進捗

というかそれがあれば博物学者、いやこの世界で言うなら自然学師か?の素質としては十分なのだ。

ここは作者の思想が出ている。例えばレオナルド・ダ・ヴィンチは多くの分野において記録を残したが、これは好奇心と絵の巧さがあって、そこにちょっとした完璧主義があれば誰でもできることだと思っている。いやそんなやつはまずいないが……。

 

商会の工房で水銀灯の研究をしている人達もいるが、

ここでの水銀灯は数気圧の水銀を使った電灯のこと。青白い光をそれなりの効率で出すので便利だが、当然水銀が含まれているので健康問題は否定できない。昔からある体育館とかで電気がつくのに時間がかかっていたらこれが使われている可能性がある。

 

大学病院とかぐらいのことしかしていないけどさ。

たいてい大学病院には研究・教育機関なので科学の進歩のためにご理解ご協力をお願い致しますみたいな断り書きがあるので、それを踏まえたもの。

 

有機

そうしたらその師は笑って、自分の誤りを認めて、それを発表するように言ったんだ。

研究者は自分の成果が後の研究で否定されたりすると喜ぶことがある変な生き物である。もちろんそうでないものもいるが、それはよくない。

 

自信

そりゃまあ比較優位を考えれば他の人ができない分野があるなら他の人に自分以外でもできるものを任せるべきだけどさ、

比較優位(comparative advantage)はデヴィッド・リカードが唱えたもので、例え生産効率が悪い方の商品であっても貿易関係によっては作られることがあるというもの。これに色々なものを組み込んだ貿易モデルが現代の経済学では扱われているが、数学が主要言語なので経済学を学ぶ人は頑張ってほしい。まあそうは言っても基本的に足し算とか変化量の計算とかだから……いや角谷の不動点定理レベルになると普通の理系でもキツイな……。

 

最適な組み合わせが、誰もが納得できるものである保証はどこにもないのだ。

比較優位の考え方を利用すると「貿易を考えると効率が悪いものを生産せざるを得ない」状況になる時がある。例えば農業のような生活に直結する産業が発展途上国において非効率的となる例などが挙げられるが、こういう状態はちょっと国際情勢が混乱して輸入が途絶えると大変なことになる。

 

輪転印刷機

ああでも回転する版があれば輪転印刷機でよかったんだか?

問題ない。

 

修理

振動があまり吸収されないようになっていたりした。

この手の問題を解決する方法は頑丈なフレーム構造を用意したり固有振動数を調節したりダンパを設けたりと色々ある。さあ振動工学をやろうぜ。制御理論とかも出てくるよ。

 

権限

これは「正当」の定義に個人差があって、大抵の人は足るを知らないからです。

知人者智、自知者明。

人を知る者は智にして、自らを知る者は明なり。

 

勝人者有力、自勝者强。

人に勝つ者は力有りて、自らに勝つ者は强なり。

 

知足者富、强行者有志。

足るを知る者は富みて、行ひ强むる者は志有り。

 

不失其所者久、死而不亡者壽。

其の所を失はざる者は久くて、死するも亡びざる者は壽なり。

 

(人を知る者に智識があるが、自らを知るものが聡明である。人に勝つものは力有るが、自らに勝つ者が強いのである。足ることを知る者は富んでいるが、実行する者は志を有している。存在を失わないものは久しいが、死するも滅びないものが寿である。)

 

──老子によるとされる「老子道徳経」三十三章より。書き下し文と日本語訳は筆者による。

 

「足るを知る」は老子の思想の重要な部分であるが、愚民政策の根拠とされることもあった。

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