図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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ここでは語り部であるキイが自明であるとして説明しなかった箇所や、作中では直接言及できない部分についての解説をします。物語は一応一段落ついたとはいえ、今後こっそり過去の投稿が編集されて説明が追加されることがあるかもしれません。毎回ここのコメントを変えていたことに気がついているような読者向けになりますので、あらかじめご了承ください。


第28章解説

支配

壁に貼られているのは、緯度の間隔からすると正角円筒図法だろうか。

メルカトル図法とも呼ばれる。これを作るためには級数や球体幾何学の知識が必要なので、その方面でもキイは驚いている。

 

私が指差すのはマガリャネス海峡とか希望岬みたいな雰囲気がある地点。

マガリャネス海峡はポルトガル語読みでFernando de Magallanes(フェルナン・デ・マガリャンイス)、カスティーリャ語ではFernando de Magallanes(フェルナンド・デ・マガリャネス)、英語風ならFerdinand Magellan(フェルディナンド・マジェラン)、日本においては慣用的にマゼランと呼ばれるポルトガル王国出身のスペイン帝国の探検家にちなんだもの。南アメリカ南端とフエゴ島との間にある。

 

希望岬はポルトガル語のCabo da Boa Esperança、あるいは英語のCape of Good Hopeの直訳。一般的には喜望峰と呼ばれる。希望が喜望になるのはまだ許せるが、何がどうすれば(みね)(みさき)になるんですかね?

 

泡沫(バブル)。大恐慌。世界金融危機。

キイが意識しているのは南洋会社(The South Sea Company)の株価の急上昇とその後の株式市場の暴落を指す南海泡沫(South Sea Bubble)事件、1929年の「暗黒の木曜日」から顕在化したアメリカ合衆国の株価急落がもたらした大恐慌(The Great Depression)、サブプライム住宅ローンの不良債権化がもたらした損失によるリーマン・ブラザーズ・ホールディングス経営破綻が引き金となった世界金融危機(Global Financial Crisis)

 

戦争

Dell'arte della guerra(戦術論)とか、Vom Kriege(戦争論)とか、

Dell'arte della guerra(戦術論)はニッコロ・マキャヴェッリによって書かれた、現実主義と歴史をもとに書かれた軍事学の本。Vom Kriege(戦争論)はカール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツの遺稿集。いずれも軍事学、そしてマネジメントにおける古典的名著である。

 

もし狂った相互確証破壊がなければ戦火は拡大していたのかもしれないが、

相互確証破壊(Mutual Assured Destruction)のアクロニムがMADだというネタ。

 

絶対戦争。総力戦。最終戦争。

絶対戦争はカール・フォン・クラウゼヴィッツが、総力戦はエーリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルーデンドルフが、最終戦争は石原莞爾がそれぞれ提唱したモデル。

 

統制

Электрификация всей страны(全国土の電化) - это(それは) коммунизм(共産主義) минус(引く) советская власть(ソビエトの権力). というわけだ。

Коммунизм - это есть Советская власть плюс электрификация всей страны. Иначе страна остается мелкокрестьянской, и надо, чтобы мы это ясно сознали. Мы более слабы, чем капитализм, не только в мировом масштабе, но и внутри страны. Всем это известно. Мы это сознали и мы доведем дело до того, чтобы хозяйственная база из мелкокрестьянской перешла в крупнопромышленную. Только тогда, когда страна будет электрифицирована, когда под промышленность, сельское хозяйство и транспорт будет подведена техническая база современной крупной промышленности, только тогда мы победим окончательно.

 

(共産主義、それはソビエトの権力、プラス、全国土の電化である。さもなくば、この国は小作農の国のままだと言うことを我々はしっかりと認識せねばならない。我々は資本主義よりも弱い。世界を見ても、国内を見てさえも。誰もが知っている。我々は理解した上で、経済基盤を農業から大規模産業へと転換するのだ。国内が電化され、工業、農業、輸送が近代的な大規模産業の技術的基盤のもとに置かれて初めて、我々は決定的な勝利を手にするのだ。)

 

──1920年11月21日、ウラジーミル・イリイチ・レーニンによる演説より。拙訳。

 

彼のこの発言はこの演説の一ヶ月後に採択されるГосударственная комиссия по электрификации России(ロシア国家電化委員会)が率いる計画、ГОЭЛРО(ゴエルロ)プランとして後の五カ年計画のモデルとなった。これは多くの問題があるあらっぽいものではあったが、その後のソ連の「科学的」計画経済の重要なプロトタイプである。

 

ところで「共産主義 $=$ ソビエトの権力 $+$ 全国土の電化」であるならば、両辺からソビエトの権力を引くことで全国土の電化のためには評議会(ソビエト)による独裁体制を排除する必要があることが当然の帰結として導かれる。実に科学的だ。

 

整理

保存されているだけいいとしよう。

なお私たちの世界では国立産業技術史博物館の資料となるはずだったものは保存すらされなかった。かなしい……。

 

密会

ああその、婉曲ではなくて。

「知る」という動詞は聖書で性行為を暗喩させるために用いられる。

 

惚気

かくして編集者が鎌を持って原稿と魂を刈り取りにやってくるのだ。

Publish or Perish(出すか、去ぬか)という言葉が元ネタ。もちろん、長期的スパンでの研究が必要な業界でこんなことをしてはいけない。

 

導入(Introduction)方法(Methods)結果(Results)そして(and)考察(Discussion)

IMRaDと呼ばれる学術的文章のスタイル。「規格化」されたのは1970年代。

 

好意

これは染色体モデルという答えを知っていないと作れないものなので、表には出さない。

トーマス・ハント・モーガンとアルフレッド・ヘンリー・スターティヴァントが示した遺伝地図のようなもの。ショウジョウバエの世代サイクルは10日弱なのでこういう研究ができるが、植物の場合は時間がかかるので一気に難しくなる。

 

私が課題でやったのはただのOSINTだ。

Open-Source INTelligence(公開情報諜報)の略。第二次世界大戦頃から使われていたが、活発になったのは冷戦期。

 

侵攻

戦場の霧のかかっていない卓上の大きな地図と駒。

戦場の霧(Nebel des Krieges)はカール・フォン・クラウゼヴィッツが提唱した概念で、戦場における不確定要素の比喩。

 

ジズヤに近い。

جزْية(ジズヤ)はイスラム教における「啓典の民」と呼ばれる許容される異教徒に対し追加で課される税。名目上は庇護(ズィンマ)のための税であった。

 

総評

まあ、J/ψでも赤い方でもない11月革命みたいなものである。

J/ψ中間子、あるいはチャーモニウムはサミュエル・ティン率いるブルックヘブン国立研究所とマサチューセッツ工科大学のチームが発見したJ粒子とバートン・リヒター率いるローレンス・バークリー研究所とスタンフォード線形加速器センター(今のSLAC国立加速器研究所)のチームが発見したψ粒子のこと。どちらも同じもので、1976年の11月にほぼ同時に報告された。この粒子の発見はそれまでの理論的な予測を裏付けるとともに新しいクォークの存在を証明するものであったため、チャーミングなものであった。なのでこれを構成するクオークはチャームクォークと呼ばれる。この出来事を11月革命と呼ぶことがある。

 

赤い方の11月革命は1917年の11月に共産主義者たちに率いられた労働者や兵士によって起こった革命のこと。田舎のロシア帝国はユリウス暦とかいう古い暦を使っていたので時期がずれていて、十月革命という呼ばれ方のほうが有名。

 

この二つではない方の11月革命というのは第一次世界大戦末期に起きたキール軍港での反乱を引き金に起こった革命とそれによる帝政廃止のこと。これによってドイツは降伏することとなった。

 

卒業

SETIとかのノリに近い。

地球外知的生命体探査(Search for Extra Terrestrial Intelligence)への考察の中で意思疎通用の言語を作ろうという試みとしてLincosというものが作られていたり、「地球外知的生命の発見後の活動に関する諸原則についての宣言」が国際宇宙航行アカデミーで承認されていたりする。まあ基本的にはこの小説の最初の方でキイがやったことみたいなやつ。

 

封緘

「鉄粉と水を紙袋の中で混ぜるだけだ。鉄が錆びる時に煆灰質と結合する」

この時に出す熱を使うのが使い捨てカイロの原理。

 

1、3、7。

Sommerfeld, Arnold Johannes Wilhelm. "Atombau und Spektrallinien". Atombau und Spektrallinien, F. Vieweg & Sohn, 1921, p. 242. ではこの数字の逆数に当たる数が有効数字3桁で出ている。

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