図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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ここでは語り部であるキイが自明であるとして説明しなかった箇所や、作中では直接言及できない部分についての解説をします。ここで解説されなくとも、将来的に物語の中で説明されることがあるかもしれません。キイが並べる人名をちゃんと調べているような読者向けになりますので、あらかじめご了承ください。


第3章解説

規矩

規矩

本来はコンパスとものさしのこと。そこから転じて「規則」の意味も持つ。

 

数学だと位相幾何学(トポロジー)の領分となるが、なんとなくふわっとしたイメージと比較して数学的な理論はなにもわからない。

位相幾何学(トポロジー)はしばしば「コーヒーカップとドーナツを同じものとして扱う分野」であると説明されるが、実際の数学記号と用語が出てくると一気に訳がわからなくなる。ただの数学ですからね。当然である。

 

Bricolage(器用仕事)だという弁解はきちんとクロード・レヴィ=ストロースを読んでかつ引っ張ってきた用語の意味を踏まえた上でしてほしい。

Bricolageはクロード・レヴィ=ストロースが著書「野生の思考」で使ったフランス語で、本来は日曜大工のようにその場であるものを組み合わせて何かをでっちあげること。こういった手法は神話の構造にも見られ、人間の本質的な思考なのだとクロード・レヴィ=ストロースは主張した。これを口実に「野生の思考」内でも異分野の用語を「Bricolage(器用仕事)」的に使っているので、ここを批判されることも少なくない。こういった思想系の分野で「実はまともに異分野の概念や用語を理解していないのでは?」という話はアラン・デイヴィッド・ソーカルとジャン・ブリクモンの「「知」の欺瞞(Impostures Intellectuelles)」で触れられている。

 

ただ、あくまで私の知識はトータルステーションの存在を前提としている。

道路の上で作業着を着た人が三脚の上に謎のマシンを乗せていて、そこから少し離れたところにいる棒を持った人を見たことがある人もいるのではないだろうか。あの謎のマシンがトータルステーションである。レーザーで距離を測り、特殊な分度器付望遠鏡で角度を調べる。

 

「正しい秤と、正しい升と、正しい規矩を用いるのが正義というものです」

量を少なく見せようと、あるいは多く見せようとして不正を行うことは歴史上広く見られる。社会的公正の観点からはこのような行為は許容されないため、権力者や統治システムはしばしは厳罰をもってこれを裁いた。

 

それでも大日本沿海輿地全図で使われたレベルの測定装置なら……と思考を巡らせる。

大日本沿海輿地全図は伊能忠敬が中心となって行われた測量で作られたもので、この作成の裏には政治的・学術的思惑が入り組んでいる。あからさまな軍事機密だったので、これが国外に持ち出されようとした時には大変なことになった。「シーボルト事件」も参照。

 

この二人の名前はノギスとバーニヤとして残っている。

ノギスは部品のそこそこ精密(0.1mm単位)な測定によく用いられる工業用測定工具。これについている副尺はバーニヤと呼ばれる。ここから転じて何かの補助をするものもバーニヤと言われることがある。例えばロケットの姿勢制御補助に使われる小さなエンジンは「バーニアエンジン」である。

 

海辺

やばいなあまり興味がなかったから記憶が曖昧だ。

登場人物の知識は作者が調べられる情報の範囲を越えることができない。専門書にも書かれていないとお手上げである。

 

例えば雷でできた風を水に溶かすとか、雷を使う炉である種の石と炭を加熱して空気と混ぜるとか、水を雷で分解した後空気と高温で反応させるとか

発見者名で呼ぶのであれば、それぞれビルケラント=アイデ法、フランク=カロ法、ハーバー=ボッシュ法。どれもコンビで名前がついているのは何か理由があるのかもしれない。

 

発展途上国についてのレポートを思い出す。

アジア経済研究所の出版している研究双書シリーズなどが役に立つことがある。ちなみにここ、アジアと名前はついているが調査や情報収集は世界全体を対象としており、ジャパニーズ・サラリマンの支援を陰ながら行う情報機関である。

 

理由は簡単だ。栄養失調。タンパク質の不足。

身長に関する長期的統計が示すところによると、19世紀以降ヒトの平均身長は多くの地域で伸びている。厳密にはこの原因については様々な説があるので、キイの栄養失調が原因であるという意見はあくまで有力な一説として捉えてほしい。ただ栄養失調が低身長を引き起こすことは間違いない。

 

合掌

そもそも日常的に意識しないならば忘れてしまっても仕方がないのかもしれない。

こんなことを言っているキイでさえ結構怪しい。アラサーかそろそろアラサーなのは間違いないが。

 

ハンドサインやジェスチャーの類だろう。

古代ローマでは演説手法の一つとしてのハンドジェスチャーがChironomiaとして発達していた。

 

雨止

あれは一介の学生がやる範囲だったかは怪しいところだ。

あまりこの話をすると色々と危ない。

 

ジャン=ジョゼフ・エティエンヌ・ルノアールからフェリクス・ヴァンケルまでざっくりとした流れは抑えてあるが、その歴史に伴う技術についてはほとんど無知だ。

ジャン=ジョゼフ・エティエンヌ・ルノアールは蒸気機関をガソリンで動くよう改良し、最初のガソリンエンジンを作った。フェリクス・ヴァンケルはロータリーエンジンを発明したが、類似の機構はそれ以前から考案はされていた。この分野は単純な知識だけではなく膨大なノウハウが必要であるため、安易な気持ちで手を出すと本になっていない分野が多すぎて大変なことになる。

 

遠望

あとは干し果物、それに発芽した麦から手間を掛けて作る麦蜜ぐらいしか甘味はないようだ。

麦蜜は我々の知る水飴に相当すると考えられる。発芽中の種子の中では様々な生命化学反応が起こり、その中でデンプンを糖へ分解する酵素が働く。これを利用して穀物のデンプンを麦芽糖(マルトース)にまで分解して作るのが水飴である。なお東洋では古くから知られていたが、西洋の古代から中世においては見られない。ビールの醸造のために麦芽を作るので、条件は整っているはずなのだが。

 

酢酸鉛(II)は少なくともケトの知識にはなかった。

古代ローマでは鍋で葡萄酒を煮詰めて作られる甘味料が用いられていた。濃度によって呼び方が異なり、プリニウスの言によれば最も濃いものはsapaと呼ばれていたらしい(実はここらへんは資料によって呼び方が違う)。この際使われた鍋はしばしば鉛でできており、この時に甘味のある酢酸鉛(II)ができる。当然有毒である。これのせいでローマ人は鉛中毒だったという話もあるがここらへんの情報は結構曖昧であるので与太話程度にしよう。酢酸鉛(II)の味について信頼できる資料を見つけることができなかったので、経験者もしくはそれについて書かれたものを知っている方がいればご連絡ください。

 

さすがに工業グレードのキレート剤を何の保護もなく体内に入れるのはそれはそれで危ないのでやめた。

鉛中毒の治療薬としてエデト酸カルシウムナトリウム水和物が用いられるが、この物質はエチレンジアミン四酢酸(EDTA)とも呼ばれる工業分野で一般的なキレート剤である。化学的にこの二つは同一であるが、工業用に使われる化学物質は不純物に毒性があっても食品に比べて気にされないためあまり積極的に摂取すべきではない。

 

櫛比

櫛比

隙間なく並ぶこと。

 

鼻孔をくすぐるのはメイラード反応でできた化合物。

メイラード反応は焦げなどで糖とアミノ酸が結合し茶色く変化するもの。化学的に記述しようとすると難解になる。「香ばしい」と表現される匂いを持つ様々な化学物質が生まれるので、この反応を制御することが食品分野では重要となる。

 

うわぁ、面倒だ。

別の言語で同じような意味を持つ単語が完全に同じ概念を表しているとは限らないし、誤解が生じる可能性も多い。翻訳をやったことのある人なら理解できるところだろう。

 

都市人口が増加すると、都市の面積を広げるか人口密度を上げる必要が出てくる。前者は城壁の拡張が面倒なので、建物を上に増築することで収容人数を増やすのだという話を昔どこかで見た。

ここらへんはレオナルド・ベネーヴォロの「図説都市の世界史」シリーズやハビエル・エルナンデスとピラール・コメスの「図説都市の歴史」シリーズがわかりやすい。

 

君たちについては、衙堂の名によって保護を与えよう

つまりは、何か問題が起こった時に面倒ごとを引き受ける代わりに派手なことをせず今後も衙堂をよろしくという意味である。ケツ持ちとも言う。

 

学徒

少ないポスト、博士研究員、任期付雇用。おかしいな嫌な記憶が蘇る。

あぶない。

 

研修

「三十九万二千四百六十七に千四百七十六は幾つ入っている?」

割り算というのはきちんと訓練を積んでいないとなかなか難しいものである。

 

価値

フランス革命暦とかいう浪漫全振りで実用性が怪しい代物でなくてよかった。

1年が12月、1月が3什旬(décade)、1什旬が10日、年に5日か6日の年末休みがあるというシステム。1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒なので我々の知る一秒よりも少し短い。全部の日に名前がついているあたりがかっこいい。とはいえキリスト教の安息日がわかりにくくて不評だったとかもあって13年ちょっとで廃止された。「熱月(Thermidor)の反動」とかの歴史用語にも影響がある。

 

善きサマリア人でもそこまではしてくれなかったぞ?

(ある)サマリアの(ひと)(たび)して(ここ)(きた)(これ)()(あはれ)

(ちか)よりて(あぶら)(さけ)(その)(きず)(さし)これを(つつみ)(おのれ)驢馬(ろば)にのせ旅邸(はたごや)(つれ)(ゆき)介抱(かいはう)せり

次日(つぎのひ)いづるとき(ぎん)()(まい)(いだ)館主(あるじ)(あたへ)(この)(ひと)介抱(かいはう)せよ(つひえ)もし(まさら)(われ)かへりの(とき)なんぢらに(つくの)ふべしと(いへ)

(され)(この)(さん)(にん)のうち(たれ)強盜(ぬすびと)(あひ)(もの)(となり)なると(なんぢ)(おも)ふや

──明治元訳新約聖書 (明治37年)、路加(ルカ)傳福音書第二十章より

 

この物語を説明するにはちょっとした前提知識が必要である。ナザレのイエス(新興宗教の教祖だと思ってくれればいい)に対して律法学者(宗教法律家だと思ってくれればいい)が「永遠の命を手に入れるにはどないすればええねん」と尋ねる。イエスが「聖典にはなんて書いてあるんや」と返すと、律法学者は「ええと、『全力で神を愛せ』と『自分のように隣人を愛せ』とあるな」と答えた。イエスが「ならそうすればええやん」と言うと、「なら隣人ってどいつのことや」という問いがやってくる。そこで後世で「善きサマリア人のたとえ」と呼ばれる話が始まるのだ。

 

「ええか?ある旅人が強盗に出会って、身ぐるみ剥がされて半殺しにされたんや。で、その時にや。祭司のおっさんがそばを通りかかったんやけど、すーっと避けて向こう行ってもうたんや。神殿であの偉そうにしてる祭司がやぞ?で、その次にレビ人のおっさんが来たんや。ほら、税も払わなくていい、神殿で働いているあのレビ人や。そいつもすーっと道のあっちがわ通って避けていったんや。で、最後に来たんがサマリア人のおっさんや。あ、嫌な顔したな?せや、あんたらみたいな律法学者が嫌っとる、あの混血のサマリア人や。そのおっさんはぶっ倒れとった旅人を気の毒に思ってな、包帯巻いて手当してやって、自分のロバに乗せたげてな、自分は歩いて宿屋まで連れてってあげたんや。で、宿屋の主人に万札二枚渡して(もちろん比喩表現であり、原文では日雇い労働者の日当程度のデナリ銀貨二枚)、『こいつの面倒見てやってくれや、金が足りんかったら帰りに払うさかい』と言ったんや」

 

ここまで話しき切ったイエスは一息ついて、「で、律法学者さん。一体誰がこの襲われた人の隣人や?」と問う。律法学者は「……その、旅人を助けてやった人やな」としか言えなかった。そこでイエスが「なら、あんたも行ってそういうことをするんやな」と締めるのがこの例え話。誰が相手でも親切にしようということなのか、高慢な律法学者を言い負かす話なのかの論争なんかがあったりする。後者の解釈はプロテスタントで見られることから、権威主義的であったカトリックと律法学者が重ねられている可能性がある。

 

で、話をキイに戻そう。これだけ世話してくれたサマリア人であっても、負担は何日分かの日当相当である。服代と食事代とその他諸々を足すと、ケトが衙堂から得たものは相当なものになる。図書庫の城邦で様々なものの値段を確認した結果、ようやくこういう事が考えられるようになったのだろう。

 

なお、会話が関西弁になっているのはナニワ太郎および大阪弁訳聖書推進委員会の「コテコテ大阪弁訳「聖書」」や架神恭介の「仁義なきキリスト教史」の影響が強い。もし誤りがあればご連絡ください。

 

ヨハン=アモス・コメニウスから始める必要があるかもしれない。

ヨハン=アモス・コメニウスの「Orbis Pictus(世界図絵)」は世界最初の絵入り語学書であると言われており、また「Didactica magna(大教授学)」では万人への教育の重要性が説かれている。キリスト教色がかなり強いが、当時の常識からすれば当然である。ただ、彼の思想が浸透するには長い時間がかかった。

 

それにラッダイト運動のような反発も当然考えられる。

ラッダイト運動はネッド=ラッドによって率いられたと言われる産業革命期イギリスにおける機械破壊運動。機械によって職を失うことを恐れた職人や労働者たちの運動であったが、弾圧と見せしめの側面が強い裁判などによって終了した。

 

事務

前借りした給与で買った屋台の炊き込みご飯を道路脇に座って食べながら、私はぼんやりと宙を見る。

出汁に浸した米に具を入れて加熱する料理は米のある地域なら大体見られる。ビリヤニとかリゾットとかもそう。

 

センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプの二の舞は嫌なので顕微鏡と純粋培養の技術は欲しい。

センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプはドイツ系のハンガリー人医師。次亜塩素酸カルシウムによる手の消毒が産褥熱を減らすために有用であるとのデータを示したが、当時の医学的知識との食い違いやら国内の革命やらであまり受け入れられなかった。彼は精神病院に送られ、その後死亡したが死因は精神病院で受けた「処置」のせいであると考えられる。この時代の精神病院はそういう場所だったのだ。あとハンガリー語名とドイツ語名があり、それぞれで読み方の表記ゆれが大きいのでどう書くかなんやかんや調べた結果ハンガリー語ベースのWikipediaで使われている表記に落ち着いた。

 

「今日は聖なる日だ!酒を飲みに行かないか?」

TGIF(Thank God It's Friday)という言い回しがある。ただ、Fridayの語源は北欧神話の女神フリッグなのでGodではなくGoddesなのではなかろうか。ともかく酒を飲むための理由は無限に作れる。

 

酒宴

「調子に乗って炎酒なんて飲むから……」

蒸留酒を意味する「火酒」という言葉がある。

 

かつての世界では伝説的錬金術師ジャービル・ブン・ハイヤーンが発明したことになっている、基本的な科学機器だ。

本当に伝説的錬金術師で、アラビア錬金術の発明は全部彼がやったぐらいのノリで話が盛られている。

 

私はケトの頭を撫でる。これは許容されるスキンシップだったはず。

東南アジア周辺の文化では頭を撫でることがタブーとなっていた。今日では変化しているらしいが、それでもしないに越したことはない。

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