―――“汎人類史の方が平和だ”なんてとんでもない

そう言ったのは誰だっただろう。

―――全ての地獄の頂点に立つ! それこそが汎人類史を名乗るに相応しい条件だ!

胸を張ってそう断言したのは、果たして誰だっただろうか。



いつだって“滅び”と隣り合わせ、地獄の次にまた地獄を積み重ねるのがこの人理(汎人類史)の在り方だ。
それは二度に亘る“人理の危機”を経ても変わらない。“齎した者(人類悪)”の愛のカタチなど知る由もなく、“乗り越えた者(最後のマスター)”が何を背負ったかなど見向きもせず。
何一つ変わることなく、また地獄を積み重ねる。

だが、積み重ねられた地獄に埋没した“モノ”たちがそれを“是”とするかは別の話。
代り映えもなく、それどころかなお一層惨たらしさを増す地獄の繰り返しに、果たして“彼ら”は何を思うのだろう。特に、最も“人”が“人を殺した”であろう時代に在った彼らは……

“赦す”のだろうか。

それとも

“拒む”のだろうか。

分からない。生者に死者の想いなどわかるはずもない。
ましてやそれが、人ならざる“人による被造物”のものとなれば尚の事。
あるいは、遠い過去(神代)の“残滓”ともなれば、最早人知の及ぶものではない。

とはいえ、所詮は過去の遺物。片や“思い()はあっても(神秘)はなく”、片や“(神秘)はあっても思い()は滅びた”。意思無き力に意味がない様に、力無き意志にも価値はない。
とりわけその魂が歴史の浅い、帯びる神秘も薄弱な“付喪神の為り損ない”では……。

しかし“もしも”の話。
“力無き意思”と“意思無き力”が結びついたとしたら。それは互いの“足りないもの”を埋め合う結果になるのではないか。
奇しくも、どちらも在るは“海の底”。“時代に取り残された残骸”と“人理に拒まれた者の残滓”。巡り逢い結び付く可能性は限りなく“ゼロ”に近いが“無”ではない。

“神代”と“近代”、“命の混沌”と“鋼の艦”、相性は最悪だ。巡り合ったところで結びつくはずがない。
だがそれも、世界の土台たる“人理”が揺らいでいる状況では話が別。その程度の“あり得ない(イレギュラー)”ならば十分に起こり得る。“残滓の大本”が一度は目を覚ましたとなれば尚の事。

とはいえ、結びついたとて融け合い動き出すまでには時間を要した。
人知れず海の底で胎動していたそれが動き出したのは、世界が二度の“空白”から脱して4年後の事。
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